(抜粋)
イスラム社会も商業社会である以上、現代と同様に投資という行動は活発に行なわれていた。ではそれが現代の資本主義とどう違っていたのかというと、そこには「貸し手は借り手と平等にリスクを負担する」という原則が設けられていたことである。
これは一見したところ当たり前で、わざわざ書くまでもないことのように見えるが、ところが現代の資本主義は一般的に言ってそうではないのである。
リスクは原則的に借り手側が一方的にかぶって、貸し手側のリスクはゼロであるべきだとされているのであり、たとえ事業が不可抗力でどんな状況に陥ろうと、貸し手側は利子が明記された証文を振りかざして、約束は約束だとばかりにそれを全額支払うことを要求する権利を有している。
(コメント)
実作業に携わる人も出資者も同じ仲間としてリスクを負うべきというのがイスラムで、実作業に携わる人がリスクを負うべきというのが資本主義。
資本主義は、出資者に有利に働くようになっているということ。
イスラム社会も商業社会である以上、現代と同様に投資という行動は活発に行なわれていた。ではそれが現代の資本主義とどう違っていたのかというと、そこには「貸し手は借り手と平等にリスクを負担する」という原則が設けられていたことである。
これは一見したところ当たり前で、わざわざ書くまでもないことのように見えるが、ところが現代の資本主義は一般的に言ってそうではないのである。
リスクは原則的に借り手側が一方的にかぶって、貸し手側のリスクはゼロであるべきだとされているのであり、たとえ事業が不可抗力でどんな状況に陥ろうと、貸し手側は利子が明記された証文を振りかざして、約束は約束だとばかりにそれを全額支払うことを要求する権利を有している。
(コメント)
実作業に携わる人も出資者も同じ仲間としてリスクを負うべきというのがイスラムで、実作業に携わる人がリスクを負うべきというのが資本主義。
資本主義は、出資者に有利に働くようになっているということ。