こんばんわーい
今夜はサラリとさりげなく
「『ぐんまちゃん』の次のご当地ゆるキャラの座を狙って水面下で密かに、かつ活発に、とある関係筋に根回し活動を開始したに違いないとの噂がまことしやかに囁かれ始める気配が散見されている世界の108名」の1人に選ばれそうな太田人
でおなじみのShock Do Gun's Keityです(ちっともさりげなくないって)
3月28日の診察時、27日に撮ったCT画像を見せて貰ったのだけど
食道の壁は明らかに厚くなり、また近々閉塞してしまいそうな雰囲気プンプンだし
肝臓も12月の検査時の倍程度まで大きくなっていて、黄疸が出てきても不思議ではない感じ
胸、肩、背中に付きまとう疼痛が、まだまだ先の事だと、どこか頭の片隅に追いやって考えない様にしていた現実を、否応なく目の前に突きつけてきて、もう自分には生きている意味や価値が無いのではないだろうか。
とか。
残り少ないであろう、僕に与えられた時間を、どう過ごしたら良いのだろうか、どう過ごすべきなのか。
とか。
柄にもなく哲学的な事を考えていた。
何をしていても、自分がしている事には、もはや何の意味もない様な感じがして、とってもむなしい。
多分、このむなしい感覚は最期の最期までスッキリと消え去る事は無いと思う。
だからと言って、いま、たった今この瞬間にこの世の中から消えて無くなる事が出来ない以上は、最期までこのむなしさとは付き合っていかなきゃならない訳で。
だとすると。
否応なく感じてしまうむなしさを、ちょっとの間でも忘れさせてくれる物があれば。
気持ちを落ち着かせてくれる事があれば。
残りの時間もそれなりに気持ちよく送れるんじゃないか。
ちっちゃな脳みそなりにアレコレ考えた結果。
新しいカメラを嫁様におねだりしていた
元気な頃みたいに、カメラバッグと三脚背負ってあちこち出かける事は無理ですねぇ。
新しいカメラを買ったところで、実際には数えるくらいしか使わないかもしれない。
でも。外にでられなくなっても、ただ触ってるだけ。イタズラにシャッター切ってみるだけ。それだけでも満足出来そうな気がするし。
気持ちがやすまる気がするし。
値段は確かに張りますね
無駄な買い物になりますね
それを充分理解した上で、ほんとに申し訳ないと思いながらおねだりしていた。
ちょっと考えて、「しょうがないな〜」と言いながらOKしてくれた嫁様のためにも、まだまだ生きなきゃなりませんね〜
折角のカメラを使い倒さなきゃいけませんね〜
何も話さなくても、おねだりの理由、ちゃんとわかってくれてたんだね
ほんと、あたまが上がりませんよ
開封式を終えた新しい相棒📷
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