須勢理毘賣命を祀る出雲国 那売佐神社。
*画像はGoogleビューよりスクショ







【古事記神話】本文 
(~その79  須勢理毘賣命の嫉妬 2)







昨日の記事と合わせて2記事で1セット。
今回も2日続けてのUPとなります。

大国主命の歌に対しての返歌。
須勢理毘賣命はどのように返したのでしょうか。


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【読み下し文】
爾に其の后 大御酒杯を取りて 立ち依り指擧げ歌ひて曰く
━━夜知富許能 加微能美許登夜 阿賀淤富久邇奴斯 那許曾波 遠邇伊麻世婆 宇知微流 斯麻能佐岐耶岐 加岐微流 伊蘇能佐岐淤知受 和加久佐能 都麻母多勢良米 阿波母與 賣邇斯阿禮婆那遠岐弖 遠波那志 那遠岐弖 都麻波那斯 阿夜加岐能 布波夜賀斯多爾 牟斯夫須麻 爾古夜賀斯多爾 多久夫須麻 佐夜具賀斯多爾 阿和由岐能 和加夜流牟泥遠 多久豆怒能 斯路岐多陀牟岐 曾陀多岐 多多岐麻那賀理 麻多麻傳 多麻傳佐斯麻岐 毛毛那賀邇 伊遠斯那世 登與美岐 多弖麻都良世━━
如此歌ひて 即ち盞き結ひ [此の四字以て音] と爲す 而して項懸りて [此の六字以て音] 今に至りて鎭り坐す也 此を神語と謂ふ也


【大意】
大国主命の后である須勢理毘賣命は、酒杯を取り立ち寄って捧げて歌いました。
八千矛の神の命よ
私の大国主命よ
貴方は男であられるので
廻られる岬ごとに
廻られる島ごとに
若草のように美しい女性を持っておられるのでしょう
私は女ですから
貴方以外に男は無く
貴方以外に夫はいません
織物のふわふわとした帳(とばり)の下で
温かい寝具のやわらかい下で
(こうぞ)の白い寝具のさやさやとささめく下で
沫雪のような若々しい胸を
栲の綱のような白い腕で
そっと叩き叩いて可愛いがって下さり
玉のように美しい手を廻して
足を伸ばして寝なされ
豊神酒を召し上がれ
このように歌って盃を取り交わし、首に手を懸け今に至るまで鎮まっておられます。これは「神語」という歌曲です。


【補足】
前回の記事に、須勢理毘賣命が「甚だ嫉妬深い」とあり、大国主命は倭(大和)へ逃げ出そうと図り歌を詠みました。

須勢理毘賣命は何やら仕返し的なことをやらかすのか?…と思いきや、意外にも普通に夫への愛情を伝え、夫婦の夜の営みを行っただけ…というあっさりとした展開のみ。しかも美しい表現で。

結局のところ「嫉妬深い」様子はまったく記されていない…どうやらお許しが出たということなのでしょう。

須勢理毘賣命は「八千矛神」とも「大国主」とも呼んでいます。記には大国主命の別名を多く載せており、「八千矛神」もその一つ。

別名は多くの神々を習合させたから…などという説もあります。それらについて、私自身はまだまだ何らかを語られるレベルにはないので、言及はしません。

◎「和加久佐能 都麻母多勢良米」は「若草のように美しい女性を持っておられるのでしょう」と訳しました。美しい女性を表現する言葉として「若草」はよく使われます。

◎「那遠岐氐 都麻波那斯」は「汝を除いてつまは無し」ですが、これは須勢理毘賣命が自身に「つま」はいないと言っているため、「つま」は「夫」のことと解されます。漢字にすれば「夫(つま)」。

◎「阿夜加岐能」は「文垣(あやかき)の」。「綾垣」と書くと分かり良いでしょうか。
「精選版 日本国語大辞典」には、「布帛(ふはく)で作った「帳(とばり)」。殿内、室内のへだてにしたもの」とあります。

◎「牟斯夫須麻」(蒸し衾)、「多久夫須麻」(栲衾)とあります。「蒸し」は「温かい」、「栲」は「白い」と訳してみました。「栲」は「新羅」の枕詞としても用いられるため。「新羅」はしばしば「白木」などとも表記されます。

以下、少々生々しい性表現を伴います。苦手な方はここまでで留めおいて下さいませ。


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第77回目の記事でも同様の表現が見られますが、その時は特に補足をしませんでした。ここで一気にやっておきます。

◎「阿和由岐能 和加夜流牟泥遠」は「沫雪の若やる胸を」。古文献では女性の胸はしばしばこのような表現がなされます。
また「多久豆怒能 斯路岐多陀牟岐」は「栲綱の白き臂(ただむき、腕)」。「若やる胸」を「白き腕で…」というのもよくみられる表現。
これは夜の営みの表現にセットでよく使われていたかな…と認識しています。

◎「曾陀多岐 多多岐麻賀理」は「そ叩き 叩きまながり」。まさか本気で叩くわけでもないでしょうし、そっと叩いてくらいの意味でしょうか。或いは古代にはそのような性技法があったのでしょうか。
「生々しい性表現を…」と断りを入れておいたので、ズバリ言うなら…
個人的には挿入時に男性が腰を打ち付けるという意味ではないか?といった可能性を考えています。

「まながり」は2種類の解釈があるようです。一つは「可愛いがる」という意味。もう一つは「手足を差し交わす」という意味。「差し交わす」とは大人なら分かるでしょう。

◎歌を掲載した後に、「宇伎由比」とあります。こればかりはどうにも訳せなかったので虎の巻を探していると、「盞き結ひ」と複数のサイトでありました。「盃を取り交わした」という意味。

須勢理毘賣命はどうやら大国主命と「盃を取り交わし」、「首に手を懸け」鎮まっているようです。これはもちろん杵築大社(出雲大社)に鎮まっているということでしょう。

◎最後の最後に、「此謂之神語也」とあります。つまり「神が人に乗り移り語った言葉」であると。また舞を伴う「歌曲」でもあると。

ますます後世の創作話感が強くなりますが…。





今回はここまで。

折に触れて2話連続、3話連続といったこともしていきたいと思います。


*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。