杵築大社(出雲大社) 
*写真は2010年頃の参拝時のもの






【古事記神話】本文 
(~その74 根堅州國 5)





神代の時代の出雲の様子はどういったものだったのでしょうか。

記紀や風土記といった古文献等、遺跡等から多くを知ることはできますが、とはいえそれらは断片的なもの。

井上光貞氏、直木孝次郎氏、谷川健一氏、門脇禎二氏、梅原猛氏、最近なら水野祐氏…

多くの学者、研究者が出雲について書かれたものを読みましたが、未だしっくりとしたものに出会ったことはありません。

それらは一様に大和から見た出雲という域を出ていないようにも思ったりも。
出雲出身、出雲在住の方の出雲の研究でないとダメなのか?そんなことを思う今日この頃です…。




紀伊国 伊太祁曾神社の摂社 祇園神社前に座す磐座。素戔男尊・五十猛命の降臨地、出雲国「鳥上峰」から運ばれてきたもの。



【読み下し文】
故に爾に黄泉比良坂に追ひ至りまし 遥かに望けて 大穴牟遲神を呼ばひて曰く 其の汝が持てる所の生大刀 生弓矢を以て 而して汝が庶兄弟をば坂の御尾に追ひ伏せ 亦た河の瀨に追ひ撥ひて 而して意禮 [此の二字以て音] 大國主神と爲し 亦た宇都志國玉神と爲し 而して其の我の女 須世理毘賣を嫡妻と爲し 而して宇迦能 [此の三字以て音] 山の山本に於ひて 底津石根に於ひて 宮柱布刀斯理 [此の四字以て音] 高天原に於ひて 冰椽多迦斯理 [此の四字以て音] 而して居れ 是の奴也


【大意】
須佐能男命は黄泉比良坂まで追って来て、望遥し大穴牟遲神を呼んで詔されました。「お前が持つ生大刀と生弓矢で神々を坂の上に追い伏せ、川瀬に追い払って、お前こそが(親愛の意を込めて)大国主神となり、また現世の国霊(くにたま)となれ。そして私の娘である須世理毘賣を正妻とし、御埼山の山裾に地底の岩盤に届くまで太い宮柱を立て、空中高く千木を上げて住むのだ!こ奴めが!」と。


【補足】
◎「意禮(おれ)」や「是の奴(やっこ)也」といった言葉使いに、須佐能男命が大穴牟遲命を認めたということが伝わります。はなむけの言葉としては少々手厳しいものですが、こういった人間味溢れる表現が「古事記」の良いところですね。
「大國主神と爲し 亦た宇都志國玉神と爲し…」といったところも、娘をお前にやるといったところも。

◎この場面は「木国」(紀国、和歌山県北部)に於いてのこと。なぜか須佐能男命がここにいることになっています。子とされる五十猛神が伊太祁曾神社に鎮まる理由ともなるのですが、須世理毘賣とは出雲に住みなさいと言っています。

◎大穴牟遲命の名がここで初めて「大國主神」と命名されました。また「宇都志國玉神」という名も授かっています。

◎「御埼山」とは出雲大社(記事未作成)の北側から北東部に広がる山地。

◎「底津石根」と地底には巨大な岩盤があると信じられていたようです。実際にもそうなのですが。「冰椽(ひぎ)」は「千木」のこと。社殿の上にX字型に飛び出ているアレですね。宇宙との交信(スピリチュアルとかが言うバカげた意味ではなくて)を図るものとも言われています。



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【読み下し文】
故に其の大刀弓を持ちて 其の八十神を追ひ避くるの時 坂の御尾每に追ひ伏せ 河の瀨每に追ひ撥ひて 而して國を作り始める也


【大意】
その大刀弓を持って八十神を追い払う時に、坂の上毎に追い伏せ、河の瀬毎に追い払い、国作りを始めていきました。


【補足】
いよいよと大国主命による「国作り」が始まります。須世理毘賣を正妻に迎えて。
順風満帆とはいかず…八上比賣がこの後…。





今回はここまで。

次回より「国作り」どころか…
大国主命があちらこちらで女を作るもんやから、その対応に四苦八苦。

ドタバタ不倫劇場が次々と開演されます(笑)




*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。