鎮宅霊符神社


大和国添上郡
奈良市陰陽町5
(P無し)

■祭神
天之御中主神


陰陽師鎮守の祭壇となる社。奈良市「陰陽町」に建てられています。
◎「奈良坊目拙解」(村井古道、享保十五年、1730年)によると、境内の南側を東西に走る社前道は、元興寺西大門の門前通りであり、かつての四条大路であるとのこと。また「平城坊目考」(久世宵瑞、1600~1700年頃)には、天正年地子帳に陰陽町という地名が載っていないことから、天正以降にこのような町並みになったとのこと(以上Wikiより)。
当地には陰陽寮があったと考えられており、庶民が初めて手にした暦といわれる「奈良暦」が作られていたとされます。
◎創建は永久五年(1117年)。「元要記」(鎌倉時代以降に成立した社寺の沿革を説いたもの、1600~1700年頃編纂)に、「興福寺行疫神 鳥羽院御宇 永久五年正月社壇建立 南都四箇陰陽師仕之」との記録が残るとのこと。つまり南都四家の陰陽師たちが創建したということに。
◎たびたび焼失、再建を繰り返した興福寺ですが、その永久五年に再建がなされたなどの記録は見当たりません。この年には鳥羽上皇が藤原璋子を中宮として迎え入れていますが、それと何らか関係があるのでしょうか。
◎「鎮宅霊符」とは、家宅を治める家人の安全を守る護符のこと。「鎮宅霊符神」は陰陽道最高の神とされ、元来は「玄武」を「玄天上帝」へと人格神化したものですが、日本へ伝来した際に天之御中主神や妙見菩薩と習合しています。



参拝当日(2023年2/20)は例祭などの行事が執り行われる日だったのでしょうか。

慶應三年(1867年)奉納の狛犬。名工は不詳。「笑う狛犬」などとして知られます。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。