船岡神社 (伝 丹波道主命居館)


丹後国丹波郡
京都府京丹後市峰山町五箇
(Googlemapで「峰山町二箇24-1」と誤表記、多くのサイトが間違ったまま引用しています)
(周辺道路は広く短時間なら停め置きできると思います)

■祭神
[合祀] 菅原道真


豊宇賀能売命が降臨した「比治山」の候補地である「久次岳」の東麓、もう一つの候補地「磯砂山(いさなごやま)」の「鱒留川」を挟んだ北麓に鎮座する社。小丘陵「船岡山」の頂に鎮座します。
◎「船岡山」は四道将軍として丹後へ派遣された丹波道主命の居館跡と伝わる地。丹波道主命が祀られています。かつては「府の岡」と称されており、これは命の居住せし府跡であると。これとは別に船型の丘陵であるからという考えもあるようですが。
◎「峰山郷土志」は「五箇村郷土誌」に、
━━丹波道主命は比沼真名井原に堡殿を造り、四人の姫に命じて豊宇気持神、豊宇気比売を祭り…━━と記されていることを引用しています。
四人の姫とは日葉酢媛・渟葉田瓊入媛・真砥野媛・薊瓊入媛・竹野媛・弟比売命・歌凝比売命の7人の娘のうちのいずれか。
◎「中郡誌槁」という書には、
━━丘陵北向の処に横穴数個あり祝部土器数個朝鮮土器破片数個銀環二個鉄片(鏃先程の大きさにて剣の先の如し)一個を役場に蔵す━━とあり、他周辺の田や仏教施設においても出土しているようです。かなり精巧な遺物のようで、「船岡山」からは良質の埴土が露出するとのこと。もちろん豊宇賀能売命への祭祀に使われたものと解されます。
かつては丘陵地内に多くの境内社があったようですが現存していません。




頂は平坦地に。どのような居館だったのでしょうか。


左殿(向かって右殿)が船岡神社、右殿が天満宮。

東方から。右手が「船岡山」、左手奥が「磯砂山」、「久次岳」は「船岡山」の背後に。




*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。