☆ 五十猛尊御陵地 (鬼神神社)
五十猛神の御陵墓の伝承地。
「奥出雲町大呂」に鎮座する鬼神神社のご本殿背後に築かれています。
スサノオ神が降臨したという「船通山(鳥髪山)」を源流とする「斐伊川」上流沿いにあります。
紀の第八段一書には、スサノオ神が高天原を追放され新羅の「曾尸茂梨(そしもり)」に渡り、子の五十猛神とともに「鳥上之峯(船通山)」に到ったとあります。
なお記や紀の本文には、スサノオ神が五十猛神を伴ったとは記されていません。
鬼神神社の社頭案内板は以下の通り。
━━ここ鬼神神社の裏山には、イソタケルの御陵墓とされる墳墓があり、「御陵さん」と地元の人は呼んでいます。かつて、ここでは火の玉が多くみられ、それは、御陵さんに舞い降りては船通山に飛んでいったといいます。地元民は、ヤマタノオロチの怨霊「龍燈(頭)」と考え恐れました。これを鎮めるためにはじまったとする「龍燈(頭)祭」が今なお続けられています━━
墳丘頂に立てられる石碑には以下のように刻まれています。
*御陵総面積 二二六七平方米
*築土高サ 一〇米
*御陵型 長円墳
五十猛神の御陵地という伝承地は、当地以外に未だ耳にしたことがありません。やはり当地に眠っているのでしょうか。
*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。









