◆ 「天神縁起絵」
~道明寺天満宮発行ガイドブックより~
(49~60面)




道明寺天満宮に伝わる扇面形式の「天神縁起絵」。前回の記事に引き続き49面からを(全60面)。

今回が最終話。

…なのですが、
菅原道真公について思うことを、おまけ話として付けようかと考えています。


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■過去の記事

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49.「官位追贈」
第66代一条天皇の御宇、正暦四年(993年)道真に正一位・左大臣を追贈することとなった。安楽寺で勅使が詔勅を読み上げる。続いて太政大臣を追贈。そしてこの歌を託宣すると道真の心に穏やかさが戻る。
━━昨為北闕被悲志
  今作西都雪恥戸
  生恨死歓其我奈
  今須望足護皇基━━
こうしてようやく道真の霊の怒りは鎮まり、都や人々の守護神となっていく。

50.「女房盗衣 1 (参篭)」
51.「女房盗衣 2 (敷島)」
侍賢門院がまだ皇后だったころ、女房が衣をなくし、疑いをかけられた女は北野社に祈願して、「思い出づやなき名立つ身はうかりきと荒人神になりし昔を」という歌を詠む。するとすぐに敷島という女が盗んだ衣を着て狂い出る。



道真に正一位・左大臣が追贈されました。かつて道真が右大臣であった時に、左大臣は藤原時平でした。また太政大臣という最高位をさらに追贈することにより、道真の怒りが収まったようです。

もっと早くできたんちゃうんか?
と、思わなくもないですが。

「女房盗衣」の解説文は理解不能。日本語がおかしい?そのまま載せておきました。
以降、北野社(北野天満宮)な霊験・利生(ご利益)譚が続きます。


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52.「仁俊潔白」
世尊寺の阿闍梨・仁俊は、ある女房の讒言にあい心を痛めて北野社に参篭。その女が半裸で錫杖を振って躍り狂い始めたので、仁俊は呪法でその女を助け、鳥羽院から薄墨という名の馬を賜った。

53.「仁和寺僧神罰」
北野社の御輿が西京の旅所にあったとき、仁和寺の阿闍梨が牛車に乗ったままその前を通り過ぎようとする(牛車から降りないのは不敬)と、牛は突然倒れて死に、阿闍梨も病に。

54.「念西往生 1 (参篭)」
55.「念西往生 2 (往生)」
仁和寺の僧、念西が北野社に参篭して望みどおりに極楽往生を遂げた。



北野社(北野天満宮)な霊験・利生(ご利益)譚の続きですが…
僧侶ばかりが出てきてつまらないですね。


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56.「銅細工娘利生 1 (生母死去)」
57.「銅細工娘利生 2 (播磨守に会う)」
58.「銅細工娘利生 1 (姉妹繁盛)」
承保二年(1075年)ころ、西七条の銅細工師娘姉妹は、継母にいじめられ北野社に参篭した。姉妹は播磨守有忠に助けられて、姉はその妻となり、妹は宮仕えして皇子を生み幸福に暮らしたという。

59.「八月御祭」
北野社の祭礼は仲秋(八月)の四日に行われ、村上天皇の頃から盛んとなった。一条西の大宮から右近の馬場へ御輿が渡御。

60.「神前相撲」
行道の最後には奉納相撲が控える。
━━ちはやぶる荒人神の心をば
 今日とりえたる相撲なりけり━━



「銅細工娘利生」は北野社の利生譚の続き。

「八月御祭」は扇絵でじっくり見たいところですが、ガイドブックですら小さな白黒写真である上に、現存する扇絵も傷みが激しいようです。

「神前相撲」ですが、菅原氏(かつての土師氏)の祖神は野見宿禰。日本初の天覧相撲(角力)を行い、相撲の祖ともされます。
「ちはやぶる…」と言えば「…神代も聞かず竜田川…」が有名ですが、「ちはやぶる」の意味は「荒々しい」ということ。この歌では「荒人神」に掛かる枕詞になっています。道真の霊が乗り移ったかのように荒々しい豪快な相撲が見られたという意味でしょうね。



━━盛大な祭礼・神事のありさまでもってこの「北野天神縁起」は全巻の終わりとなる━━と締めくくられています。

冒頭にてお伝えしたように、後日道真公に関しての記事を上げたいと思います。長々とお付き合い頂きありがとうございました。


《完》