阿良須神社(福知山市大江町)




◆ 丹後の原像
【52.「丹後史料叢書」 ~「丹後風土記殘缺」 15】




これまで20年近くにわたり、50回ほどかな?
丹後に出向いていますが、

未だ雪に出逢ったことはなく、
雪国のイメージはありません。


確かに…雪国特有の社殿
ご本殿に覆屋が施されていたり…
勾配の急な屋根にされていたり…

するものですが。


コロナ禍が沈静化するのが早いか、
雪解けの方が早いか、

ここ数年は年に一度ずつしか行けていないので、何とか2回くらいは行きたい…


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【読み下し文】
有道郷 本字蟻道

有道郷と稱される所以は往昔 天火明命飢へて此の地に到るの時 往くに随ひて 食を求めて以て螻蟻に連れ行かれし 即ち土神 穴巢國に在るを見し 天火明神食を請ふ [五字虫食い] 喜びて以て奉じし 種々の盛饌を饗へし 故に天火明命 土神を賞め且つ詔して曰く 爾後妙へ須く蟻道彦大食持命稱へ爲す 故に蟻道と曰ふ也 亦た神祠有りて蟻巢と云ふ 今 阿良須と訛りし [以下七行虫食い]


【大意】
有道郷 本字蟻道

「有道郷(ありぢのさと)」と称される所以は往昔、天火明命が飢えてこの地に来た時に、蟻が進む後を付いて行くと土神(地主神か)が穴巣国に居るのを見つけました。天火明命が食べ物を請うと、土神はたくさんの料理でもてなしました。天火明命は土神を褒め「これより蟻道彦大食持命(アリヂヒコオオケモチノミコト)と名乗りなさい」と詔しました。故に「蟻道」と言います。またそこには神祠があり「蟻巣」と言いましたが、今は阿良須と訛っています。


【補足】
◎「蟻道(ありぢ)」が「有道(ありぢ)」に転訛したと。腹ペコの天火明命が蟻が進む後を付いて行くと…云々と。

誰がこんなダジャレにごまかされるのでしょうか(笑) もちろん後世の附会。
風土記というのは8世紀初頭に各国に編纂が命じられた書。この当時に既にこのような附会が出来上がっていたのでしょうか。殘缺は後世に書写されたものですが、その時に拵えられた民話ではないかと思うのですが。

◎福知山市大江町に阿良須神社が鎮座、この周辺の地を「有道郷」と言ったようです。福知山市の北端に当たります。

◎社名から古代朝鮮の匂いがぷんぷんと。「鉄」の匂いがぷんぷんと。
「蟻道(ありぢ)」からはどうしても「阿利叱智干岐(アリシチカンキ)」を連想してしまいます。

紀の垂仁天皇の条に「一云」として、「崇神天皇の美宇に額に角の生えた意富加羅国(おおからのくに)の王子 都怒賀阿羅斯等(ツヌガアラシト)またの名 于斯岐阿利叱智干岐(ウシキアリシチカンキ)が、穴門、出雲を経て笥飯(けひ)の浦に到着し角鹿(つぬが)と名付けた」(大意)とあります。
この都怒賀阿羅斯等については、天日槍神(アメノヒボコノカミ)の説話と内容が酷似、同神であるとする説が有力(参照記事→ 氣比神宮)。

都怒賀阿羅斯等にしろ、天日槍神にしろ、「鉄」というイメージしか湧いてきません。


◎東舞鶴にも同名の阿良須神社が鎮座しますが、「土蜘蛛」とされる玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)が、日子坐王から逃げていく場所と近いのです。東舞鶴の阿良須神社の近くの「青葉山」から「大江山」の近くの「有道郷」へ。
玖賀耳之御笠が「鉄」を求めて移住するのと、日子坐王が追いかけていくのとがごっちゃになって神話として残っているように考えています。結局「鉄」ですね。


都怒賀阿羅斯等を祀る越後国 氣比神宮の境内摂社 角鹿神社



36.「丹後史料叢書」 ~緒言 1 37.~緒言 2 38.「丹後風土記殘缺」1 39. 2 40. 3 41. 4 42.5 43.6 44.7 45.8 46.9 47.10 48.11 49.12
50.13 51.14