前回の記事では
「丹後国風土記」残闕に記される弘計皇子・億計皇子の文面を訳し載せました。
今回はお約束通り、丹後国にある伝承地を内容とともに載せます。
知り得る限りの全てを訪ねています。
全10ヶ所。
すべて神社。
またかつては丹後国内であった若狭国の1ヶ所も掲載しておきます。
新しい伝承地を発見次第、訪れるつもりです。
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■ 若狭国 大飯郡
*青海神社
母神である飯豊青皇女(飯豊天皇)が禊をしたという「窪池(禊池)」が境内にあり。二皇子そのものの伝承は無いが、母ゆかりの地を辿った可能性は大いに有りそうです。
■ 加佐郡
*和江神社
二皇子が酒饌を供えて開運を祈願したという伝承有り。
■ 與謝郡
*大虫神社
小虫神社と同様に二皇子の潜伏先との伝承有り。
兄の億計皇子が当社上宮に、弟の弘計皇子が下宮に祀られる。牛や馬を飼い、庶民と共に暮らしていたと伝わる。
*木積神社(京丹後市大宮町久住)
二皇子の潜伏先との伝承有り。二皇子は南西10kmほどの「三重」の長老宅に匿まれていたとされる。ご祭神は二皇子で、二体の神像が御神体であったとされるが、洪水でうち一体が流され高森神社にて祀られる。
*小虫神社
大虫神社と同様に潜伏先との伝承有り。
「丹後國風土記」残闕に、二皇子が当地に来たとの後に、「丹波国造稻種命等安宮潜かに作り 以て奉祀した 故に其旧地を崇め以て大内と号くる也 然る後に亦た 与佐郡真鈴宮に移し奉る」と。ご祭神は祖父の去来穂別天皇(履中天皇)。境内社 東之荒神に億計皇子が、西之荒神に弘計皇子が鎮まる。
*高森神社
木積神社の御神体であった神像二体のうち一体が洪水で当社に流れ着き、それを御神体として当社に祀る。その神像として祀られるのは二皇子であるが、兄か弟かは不明。二皇子とも当社ご祭神として祀られている。
*麓神社
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いずれも「濃い」伝承。
上宮神社や麓神社のものなど内容が疑わしきものもありますが、隠棲伝承そのものは非常に「濃い」もの。
これほどのものが、これほどの数で伝わっているというのはただ事ではないと思うのです。
何としても「皇子様たち」を守らねば!
そんな古代の村人たちの強い思いが伝わってくるよう。
伝承地は與謝郡に多いものの、與謝郡全域といってもいいくらいに広がっています。
あちらこちらを転々としたものと思われます。
何度も見つかりそうになったのでしょうか。
疑わしい…とは記しましたが、
本当に「庶民と共に暮らしていた」のかもしれません。