阿田和神社
紀伊国牟婁郡
三重県南牟婁郡御浜町大字阿田和6228-1
(県道62号線沿いにP有、下部写真参照)
■祭神
速玉男命
事解男命
[合祀] 天兒屋根命 誉田別命 秋葉神 菅原道真公 金刀毘羅神
七里御浜より500m余り内陸に入った地。早くもこの辺りから奥深い山間部へと入っていくという、特異な歴史を育んだ熊野の典型例。
明治の合祀令を強圧的に進め、多くの遺産を失った三重県ですが、当社もその最たる例。当社そのものは康治二年(1143年)、阿田和の産土神として「字芝地」(不明)に奉斎されたのを創建としています。その後現社地より北2kmほどの浅間山に遷され、江戸時代に現社地へ。江戸時代には春日社と八幡社が並立していたらしく、ご祭神にも見えます。そして明治に飛鳥神社と境内2社と、引作神社(神木の大楠のみ現存)を合祀しています。その飛鳥神社の境内は神武東征の折、「荒坂の津」で丹敷戸畔を誅する際に神武軍が陣を構えた地であるという伝承があったとか。「本城」という字名も残っているようです(場所は未確認)。