防弾少年団ジミン、デビュー秘話 | K-POPちょっといい話

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名前は芸名ではなく本名であるジミン(パクジミン)を使う。 Baby J、Baby G、Young Kidなどの候補があったが、 若く見える外見に着目してつけた名前である。 最終的には、数々の芸名を抜いては本名を使うことにした。

ジミンは、1995年10月13日に韓国釜山で生まれる。小さい頃はアニメが好きで、ドラゴンボールにハマるごく普通の少年だった。幼い時剣道を7年ほどしテコンドーも学んで黒帯という。また、本人のお金で買った最初のアルバムがBoAのアルバムであった。

 



中学2年生の時からポッピン(※体の各部位が別々の動きをするダンス)を開始しており、 ピの舞台を見て歌手の夢を持つようになった。

 

 

 

<防弾少年団がピの「Rainism」をカバー>

 

 

その後、釜山芸術高等学校現代舞踊科に首席で入学し、練習生生活のためにソウルに上京するまで2年ほどの現代舞踊(モダンダンス)をした経験がある。本格的に現代舞踊を習い始めたのは、高校入試準備をしながらという。比較的短い期間で良い成績で現代舞踊科に入学をしたことを見れば、こちらにも才能があったようだ。

 

 

<2016 SBS歌謡大祭典でのジミンとTWICEミナのモダンダンス>

 

ダンスの先生の勧めでオーディションを受け、練習生生活のために2012年5月15日ソウルに上京した。その後、韓国芸術高校音楽科へ転校した。韓国芸術高校在学時代OH MY GIRLスンヒと同じクラスだった。

 

ジミンは防弾少年団の練習生期間が最も短い。2012年5月15日ソウルへ上京した後、宿舎生活を始めたので練習生合流後約13ヶ月でデビューをしたわけだ。練習期間が短くデビュー組に選抜されたとき、本人は落ちるだろうと思っていた。家族にも「今回デビューをできなくても必ずいつかデビューするだろう」と話しておいた。防弾少年団 のデビュー日が確定された日、自分も一緒にデビューすることを知ったので、本当に最後まで進路を確認することができなかった。

ジミンはとてつもない努力派として知られている。モットーは「できなくなるまでやってみよう」だ。 ビッグヒットのパフォーマンスディレクターであるソンソンドゥク氏が認める練習の虫でもある。 防弾少年団の中でデビューが最も遅れて確定されたメンバーであり、スランプを努力で勝ち抜いたという。ジンの証言によると、当時ジミンは、一日に3時間だけ寝ながら練習をした。ジンが横で見ながら「あんなにして死なないだろうか」と心配した。ジミン自ら「自分自身について欲が多い」と述べており、おそらくこのような性格に起因したようだ。

インタビューで「休む時も宿泊施設にいるとわけもなく心が苦しいので、練習室で休む」と打ち明けた。 生まれながらの努力派であるようだ。

 

 

 

防弾少年団は2013年6月13日「エムカウントダウン」でタイトル曲「No More Dream」のステージを披露し、デビューした。