皆さん、こんばんは。

佐伯恵太です。

 

最近YouTubeで中京テレビさんの番組オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。を観るのが日課ですひらめき電球

(YouTubeのダイジェストだけでなく本編も観ています)

 

番組公式チャンネルで過去放送の動画が大量に公開されていて、良い意味でくだらないのが最高に面白いですビックリマーク

 

過去放送を色々観ていると、京都大学の理学研究科で生物学の研究をされている寺川剛先生が、オードリーの春日さんの論文を発表されていましたビックリマーク(ユーモアにあふれた内容で最高に面白いのです)

 

 

ちなみに、

僕が修士号を取得したのがこの京都大学大学院理学研究科なのです。僕も生物学......!!

 

なんだかご縁を感じまして、僕も論文を書いてみました。

 

 

寺川先生は、春日さんの論文ということで、僕はオードリーの漫才の論文を書きました。こちらの漫才を参考に。

 

 

※あくまでも論文風に書いてみただけの文章です

※途中おふざけも多々ありますが、オードリーのお二人と寺川先生をリスペクトした上での表現です

※めちゃくちゃ長いのでお時間のある時に読んでください

 

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【オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアー in 日本武道館】の考察

 

佐伯恵太

 

 オードリーは、若林正恭と春日俊彰によるお笑いコンビである。M-1グランプリ準優勝(2008)、番組出演本数ランキング1位(2010)などの実績からも、極めて高い人気、実力を有したコンビであることは疑いようのない事実であるが、意外にも、オードリーに関する先行研究は「春日俊彰の面白さに関する考察(terakawa, 2019)」のみである。そこで、2019年3月に開催された「オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアー in 日本武道館」を題材に、オードリーの面白さについて改めて考察することとした。彼らの面白さはどこから来るのか。あらゆる角度から検証し、その要因を解明していきたい。

 

 オードリーの漫才と言えば、漫才が始まってから春日がセンターマイクに到達するまでの時間が異常に長いことが知られている。M-1グランプリ2008においては、舞台袖登場からセンターマイク到達までの時間がそれぞれ、若林5秒、春日10秒となっている。そして、日本武道館においては、若林12秒、春日24秒という驚異的な数字を叩き出している。これは、純粋に会場の舞台袖からセンターマイクまでの距離に比例したものではあるが、観客はこの距離の違いについては考慮しない。つまり、二人のオーラや、長時間待つに値する漫才であるという期待感が、この時間をもたせている。また、若林と春日の到達時間がちょうど倍となっており、この割合はM-1、日本武道館ともに一致している。おそらく、二人が互いを意識しながら調整しているものと考えられる。より詳細に見ていくと、若林は日本武道館では、センターマイクに到達する前、歩いている最中から話し始め、普段より少し遠めの位置で静止し、上半身をマイク側に傾けて話すなど、歩行の速度を上げることなく、かつ、漫才開始までの時間を短縮するための工夫が見られる。これにより、落ち着きと、テンポの良さを両立している。この若林の調整能力がオードリーの漫才を構成する重要な要素の一つである。一方春日の歩行は、武道館全体を見渡し、やや蛇行して歩くというような、よりスケールの大きさを感じさせるものとなっている。

 

 まず、重要な漫才序盤において、春日は若手漫才コンビ「霜降り明星」粗品のツッコミを真似するという行為に出ている。自身のオールナイトニッポン10周年の重要な局面において、である。ここに、まさに春日の真骨頂とも言える類まれな度胸と、長年に渡り奇策を繰り返してきた経験が活きていることを強く感じる。また、春日による粗品のパクリ芸に対し、一度目は泳がせておいて二度目で「霜降り明星やめてくれる?」と的確なツッコミを入れた若林の冷静さにも目を見張るものがある。武道館という巨大な会場においても至極冷静で、脱力感さえ感じさせるのが若林の強みであり、魅力である。ここまでの一連の流れで武道館の観客の心を掴む大きな基盤を作ったと言って良い。さらに春日は驚くべきことに「霜降り明星の漫才は面白いから」と、パクった理由について正直に認めている。ここに、春日の素直な人間性と、それを受け入れ評価している観客との信頼関係が感じ取れる。続いて「オードリーの漫才も面白いでしょ」という若林の質問に対しては、春日は笑いながら「いや~」と返事をしたことからは、春日の謙虚な姿勢が垣間見える。ちなみに、このやりとりは、オードリーの漫才が本当に面白くなければ成立しない。つまり、オードリーの漫才は実際には抜群に面白いという武道館(及びパブリックビューイングを含む)22,000人全員の共通認識があるからこそ、成立するやりとりとなっている。つまり、後輩である霜降り明星をリスペクトしているという形を装い、パクリを正当化した上で、自身の漫才が面白いことを証明するという高度な戦略とテクニックが介在している。

 

 その後もオードリーのお家芸であるズレ漫才が進行していくのであるが、一つ取り上げたいのは、春日の「サガミオリジナルか」の発言である。これは、一見ただの唐突な下ネタと捉えてしまいがちであるが、実はそうではない。この発言に対し、若林は「これは武道館では触れませんけどね」とコメントして笑いをとっているのである。つまり、言ってはいけない場所で言ってはいけないことを言う、という形なのであるが、これは元来オードリーが得意とする型の変則形なのである。オードリーが得意とする型の基本形は、大声を出してはいけない場所で春日が大声を出す、というものである。先行研究(terakawa, 2019)が指摘するように、大声は春日の大きな構成要素である。漫才中に突然「トゥース」「アパー」などの大声を出すことで笑いをとる。この時、大声を出してはいけないような環境であればあるほど、より笑いがとれるという傾向があるという。しかし困難なことに、武道館のステージは大声を出して良い場所である。日本で一番大きな声を出して良い場所と言っても過言ではない。それでは、大きな声を出したところで笑いが取れない。そこで、これほど大きな会場、大舞台では基本的に言うべきでないこと=サガミオリジナル、となるわけであるが、これは自分たちの得意な型を封印するのではなく、会場や雰囲気に合わせて形を変えて使うという方法論である。

 

 前述したように、大声で笑いをとるのが難しい環境であるため、春日は得意ギャグ「アパー」をただ大声を出すギャグとしては使用せず、若林に股間を触られるとアパーと叫んでしまう、という「付加価値」をつけることによって笑いを成立させている。環境として通常のアパーでは笑いがとれない、しかし観客たちはアパーを求めている。そこから導き出された答えが、股間接触のトリガーにより発動するアパーなのである。後の二人のやりとりから、このアパーは春日のアドリブであることがわかる。驚異的な瞬発力。天才性を感じる瞬間である。

 

 漫才開始7分を過ぎたあたりから「実は瞬間移動ができる」という春日の奇妙な発言が始まった。瞬間移動の挑戦が3回目を終えた後、ついに瞬間移動する方法が語られる。魂を抜いて遠くに飛ばした上で、空っぽになった自分が高速移動して追いつく、という手法をとっているというのである。その後、魂が抜けた状態の春日が歩くシーンがあるが、その歩行は一般的な成人男性より遅いくらいの速度であり「高速移動する」という発言との矛盾のように感じられる。しかし、実はそこがポイントであり、春日曰く、空っぽの自分に別の魂が入ってきたからそうなった、というのである。杜撰な設定による矛盾と見せかけて、次の展開への伏線となっている巧みなストーリー展開である。そして驚くべきことに、この瞬間移動の一連の流れがなんと9回にもわたって繰り返される。これは他の漫才師の追随を許さない被せの回数であり、春日の驚異的なメンタルの強さ、顔や身体全体を使って表現することでの豊富なバリエーション、若林の絶妙なツッコミのタイミングや圧の調整、言葉選びの巧みさなど、二人の確かな力があるからこそ成せる業なのである。

 

 ここからは、若林の亡くなった父を春日に憑依させるという、日本武道館のスケールにふさわしい壮大なチャレンジとなる。ちなみにこの憑依チャレンジもなんと9回トライしている(憑依未遂も含む)。この憑依についても春日は、実は自分の魂を(身体の端の方に)寄せて隙間を作って、その隙間に憑依させている、という風に、そのメカニズムを語っている。つまり、他人の魂が憑依している時に自分の魂も存在しているため、自己の中の魂同士が喧嘩したり、ふざけたりしてしまうのだと言う。この説明により、それまでの憑依チャレンジ中に春日がふざけていたことが理屈として成立するようになっている。しかも、その説明が冗長でなく、かつ、二人のキャラクターも相まって理屈っぽさを感じない。

 

 若林が春日の憑依のメカニズムの説明を受けて、じゃあ自分の方が小さいから(春日の大きな体の方が2つの魂を入れやすいと思われるので)、まず春日と自分の魂を入れ替えて、そこに父の魂を入れれば春日の身体の中で若林親子が会話できるのではないかと提案する。その最初のステップである春日、若林の魂の入れ替わりは見事成功するのであるが、お互いがお互いの身体を借りてふざけ合ってしまったため、魂の交換は解かれてしまう。

 

 最後に「お前と漫才やってられねえよ」「お前それ本気で言ってんのか?」「本気で言ってたら武道館で30分も漫才やるわけねえだろ」「ハハハ」というお決まりのくだりがあり、それで終了かと見せかけておいて、いつも通り二人で笑いあった後に「正恭、元気だったか?」とまさかのタイミングで若林の父親が降臨して漫才が終了する。

 

 今回、オールナイトニッポン10周年全国ツアー in 日本武道館の漫才を通して、改めてオードリーの二人の天才性と、努力の跡、両面を見ることが出来た。その結果として二人が手に入れた、漫才を面白くさせている諸要素については、これまでに挙げたもの以外にも数多く存在しているものと思われる。特に、全体を通して感じられるのは、二人の仲の良さであり、互いに相手の出方や表現を、純粋に、新鮮な気持ちで楽しんでいることが伺える。これにより観客は、春日を見てワクワクしている若林と同じ目線で春日の一挙手一投足にワクワクし、若林を嬉しそうに見つめる春日と同じ目線で、若林が放つ一言一言を味わえるのである。そしてこの、二人の仲の良さがベースにあり、さらに明確な体格差もあることで、若林が春日に強くツッコミを入れたり、蹴りを入れたりしても、それが暴力ではないことがわかり、安心して鑑賞できる。あらゆる面で違いのある二人が、互いを認め合い、尊重し合うことで、双方が輝く。これはまさに、多様性を尊重するという価値観に他ならない。

 

 グローバル化が進む日本において、多様性を認め合うということは、今後益々求められる価値観である。オードリーの二人は漫才やその生き様を通して、日本が進むべき道を指し示しているのかもしれない。

 

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オードリーさんの漫才の論文を書いてみて、改めてオードリーの漫才の凄さと、お二人の魅力を感じました。

 

ブログを読んでくださった皆さんにもその魅力が伝われば嬉しいです。

 

そして、それと共に、この論文風文章から、論文や研究というものに、少しでも興味を持ってくださる方がいたら、何より嬉しいです。

 

 

もし需要があれば、また色々な論文(風の文章)を書いていきたいと思います。最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!