旦那との関係は、客観的に見たら改善していません。

でも私の中では、このまま現状維持でいい。現状維持しかないという気持ちです


とにかく、会話をすると絶対に引っかかることがあってストレスなので、会話は基本しません。

話しかけられたら、返事はします。挨拶もします。

私から話しかけることは少ないですが、同じように旦那から話しかけてくることも少ないです。


やりとりは基本LINEで、業務連絡的な感じですが、それでも話が噛み合わず「はぁ?」と思ったときにはメッセージを消します。

見えなくなると、なかったことみたいに感じられて少し気が楽になります。

そして後々思い出すことも減っていき忘れることができます。


旦那のことを日々忘れながら、存在を感じないようにしながら生活しています。


旦那は悪い人ではありません。

人当たりが良く誰とでも気さくに話すような人です

「丸くなったのは歳とったから。若い頃はそんなことなかったよ」とずいぶん前に言っていましたが。

子どものことも大好きで可愛く思ってるのが分かります。

結婚記念日には花束を、誕生日にはプレゼントやケーキを贈ってくれます。


でも、例えば贈り物なんかは、それがどういう気持ちからなのか、よく分かりません。

大事だと思ってくれているからなのか?やらねばならないと思ってるからなのか?

過去の失敗を少しでも埋めようと、償おうと思っているからなのか?

素直に喜べない自分がいます。ありがたいことだとは思っても、嬉しいな〜と思えません。

花はキレイで、プレゼントもなかなかセンスが良く、ケーキも美味しくいただきます。

でも、もし贈ってくれなくても別に何とも思いません。

欲してないからですかね。


そんなのはいらないので、できれば離れたい。



子どもに対しても、怒らず優しいという表面的にはいいパパですが、曖昧にして欲しくない教育方針などの面では、何度伝えてもなかなか理解してくれません。


一人っ子なのでどうしても優先してもらえる、やってもらえる環境になりやすい。

自分ですること、自分の思い通りばかりにはならないことを知ってもらうために、中途半端に手を出さないでくれとお願いしています。


子どもがせっかく試行錯誤してるのに、良かれと思って?何も考えずに?困ってるから助けなきゃくらいに思って?、助けを求められてもないのに手助けします。

子どもがどういう状況なのか考えずに、必要とされていないのに、自分目線の判断ですぐに手を出します。


私が子どもに問いかけてるのに、答えるのが難しいだろうと思うのか?、子どもが考えてるのを無視して旦那が答えます。

「〜だよね」とか、もちろん優しい言い方です。悪気はありませんから。


家の中で子どもが何かする時、呼ばれてもいないのについて行って先回りして蛇口をひねったりドアを開けたり電気をつけたりします。


でもこれと、問いかけに答えるやつは、何回か言ったらだいぶ減りました。

難しい状況判断を必要としないからだと思います。


「子どもに聞いてるんだから答えないで」

「電気は自分で付けられるからやらないで」などです。


分かりやすい状況で分かりやすい説明がある、という条件が揃って、繰り返し繰り返し言って、ようやく覚えてくれます。


結局自分の意思ではないんです。

言われたことを覚えて実行する、ということです。

私がそれをお願いしてる意図までは、理解していないかもしれません。

意図がある、ということにすら、思いが巡ってないんじゃないかと思います。


こんなことを考えてると、コミュニケーションをとるのが嫌になるわけです。

とる必要もないか。お互いに良いことないし。

…と思って現在に至ります。


なぜこんなに旦那の性格(特性)が気になるのかというと、一つは過去の許せないこと。

旦那のその性格(特性)を現在ほど深く理解していない時に、何度も苦しい思いをし、又、人生の中で最も許せないことをされたことがあります。その時に「あ、この人そうなんだ」と思ってしまったこと。

それを許せないまま「やっぱりそうなんだ」「過去のあれも、納得だなこんな人なら」と見限ってしまったことが一つ。



二つ目は、私自身がHSPだと思われること。


とにかく細かい部分に引っかかってしまう。言い方、言葉尻、言葉の裏にある思いや表情。


嫌だったことがなかなか頭から離れないこと。

考えなければいいのに、考えないってどうやってするの?と結局考えてること。


旦那に話しかけられると、やたらとビックリします。頻度も少ないので余計にですが。


旦那の部屋や柔軟剤の匂いも気になってしまいます。苦手だと伝えたことはあります。


部屋が汚いこと。掃除してもらっても汚れが残っててきになってしまうこと。


何度言っても爪が長いこと…


些細なことに引っかかりやすいのかなと思います。


小さな小さな引っかかりが、解消されないままどんどん積もってしまった感覚です。


思い悩みやすいこと、ずいぶん前に話したこともありますが、理解してもらえないなと感じてもう話すのはやめました。


旦那とは関係ないですが、子どもの頃から敏感な部分がありました。


ウール素材の衣類はチクチクして(タワシを当てているような感じ)着られませんでした。現在もです。


関節じゃないところを締めつけるような衣類(ふくらはぎ丈の靴下、ブラジャー、浴衣の帯)を初めて着たときの衝撃的な不快感。

着ざるを得ないので慣れることができました。


ズボンが嫌い。硬いものは全て嫌。スパッツのような薄くよく伸びるものしか履けませんでした。

ジーパンを初めて履いたのは中学3年だったかな


乗り物酔いが激しく、特にバスはもどしていました。


真っ暗が怖く、就寝時は必ず豆電球でした。これは現在もです。

子どもの頃は「真っ暗だと、自分が目を瞑ってるのか瞑ってないのか分からなくて怖い」と感じていました。


姉の不機嫌や反抗期がとにかく嫌で、いつも親と姉の仲裁役をしていました。


現在は光に敏感で、さほど太陽の出ていない日でも眩しく感じてしまうことがよくあります。


匂いもかなり敏感で、おむつにオシッコが出たときの匂いで、どこのメーカーか、誰のオシッコか、概ね分かりました。(仕事柄、です)


服の重ね着が苦手です。できなくないですが、ものはかなり選びます。


マニキュアは、爪が呼吸できない感じがして苦手です。できません。足はできます。


学生時代の大勢での飲み会は嫌いでした。本当に慣れ親しんだ人たちと宅飲みであれば楽しめましたが、お店での飲み会はすごく疲れて、誰か特定の人の隣でじっとして過ごしました。


仲の良い友人にも「個の関わりは上手だけど、集団行動苦手だよね」と言われ、自分でもハッとし納得した覚えがあります。

誰に合わせたら正解なのか分からず、輪に入るのに労力を要し、大勢ゆえに周囲の人に迷惑をかけてるんじゃないかとストレスを感じ、結果一人で後ろの方でフラフラしてる…そんな感じでした。



こんなこと、みんな同じだと思ってました。

同じというか、みんなそれぞれに生きにくいことがあるから一緒だと。


あえて人に言うことでもないと。

自分の辛いことアピールしたって、誰も気持ち良くないし、理解してもらえることじゃないから自分自身が救われるワケでもないと。



旦那に対する嫌悪感も、人に言ったってみんなそれぞれあるんだろうと。

言ったところで、聞く人も嫌だろうと。


そう思って自分の中だけにしまい込んできたけど、出してみたいと思うようになりました。

常に、とまではいかないけど、出してしまいたいと思う時が出てきました。