今を全力で生きるとは | Poco a poco -難病と生きる-

Poco a poco -難病と生きる-

スペイン語の「poco a poco」は、日本語では「少しずつ」「ゆっくりゆっくり」という意味です。遺伝性による難病、脊髄小脳変性症を患っていると診断された2015年7月(当時34歳)以降、少しずつ身体が動かなくなる恐怖と闘いながら、今日を生きる僕の日記です。恐縮です。

僕が口癖のように唱えている「今を全力で生きる」について。カッコつけているわけではない。刹那的に生きるしか、他に方法が無いということ。どういうことか。僕は病気によって、多くを失った。最愛の婚約者然り。アクティブな趣味や道具然り。仕事や同僚然り。畜生め。

 

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病気を患った後も、見捨てずに我慢強く付き合いを継続してくれた元カノ。彼女のおかげで、僕は現状維持に努められた。まさに精神的支柱。そんな杖のような大事な存在だった婚約者が去ってから、何のために頑張っているのか分からなくなった。加速度的に病状が進んだ。
 

 

人間って生きる上で、趣味に生きるよな。僕はフルマラソンや登山に親しんだ。ぶっちゃけ辛い。休日に何故肩で息をしなければならないのか。目標を持つこと。成長を実感できること。出会いが広がること。達成感を得られること。今は皆無。生きているのか死んでいるのか。

 

 

収入面を気にしなくても良くなった。誰かが羨ましがる。ふざけるな。仕事に自己実現を描いていた。群雄割拠の業界において、泣く子も黙るスター軍団だった。僕は彼らを愛していた。仲間も僕を受け入れてくれた。ようやく居場所を見つけた気がした。それが、儚く散った。

 

写真の6枚は、いずれも難病を患う前後。冒頭の話題に戻るね。何故刹那的なのか。患者が夢見る根治薬が完成するとしよう。病気が治るとはどういうことか。進行が止まる。勘違いして欲しくないのは、元の状態に戻れるということではない。もう、婚約者は戻ってこないのだ。