どうせ、助けてもらえない。
どうせ、分かってもらえない。
どうせ、信じてもらえない。
「どうせ」ということばには、
「どうか」という願いがあるように思います。
どうか、助けてほしい。
どうか、分かってほしい。
どうか、信じてほしい。
他人に期待しないという人は、
ほんとうはすごく期待していますよね。
傷つきたないから、期待しない。
裏切られたくないから、期待しない。
でもほんとうに期待しないのなら、
そもそも「どうせ」ということばが、
出てくるはずがないと思うんです。
「どうせ」ということばが出るということは、
心のどこかで期待している証拠です。
期待が裏切られるのが怖いから、
先に「期待しない」ことにしておく。
そうすれば、裏切られたときの"痛み"が、
少し減るかもしれませんからね。
でも、それを続けていると、いざ
ほんとうに期待していい場面がきたとき、
心が動かなくなってしまう気がします。
大事なことは、たぶん、
期待しないことでじぶんを守るのではなく、
相手を大事にすることなんじゃないかな。
期待しないことと、
無関心は、似て非なるものです。
期待しないという言い方は、
相手の行動を勝手に決めつけています。
「〜してくれるはず」
「〜してくれないから許せない」
そうやって相手を
じぶんの想定内に組み込もうとしないことが
相手を大事にすることなんだと思います。
じぶんとはちがう他人が、
どう動くかはその人の自由であり、
だれかにコントロールされるべきではない。
だから、その人がどう動くか、
ありのまま、そのままを見てみる。
そうすると、思い通りじゃなくても、
「裏切られた」ではなく、
「こういう人なんだ」と少しフラットに
受けとめることができると思います。
相手を大事にするこということは、
相手をコントロールしようとしないこと。
それがめぐりめぐって
じぶんの気持ちを守ることにも
つながるんじゃないかな。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
期待しなことで、
信じる力が生まれる。
