それは、ほんとうに本音なのか。 | わくわく海賊団

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ビルと枯れ木、青空

 

 SNSで見かけることばが、

 その人の"本音"や"心の叫び"だと

 言われる場面があります。

 

 でもあれは、

 ほんとうに心の声なんでしょうかね。

 

 たとえば、だれかに

 見られることを前提にしたことばって、

 どうしても整えたり、飾られたりします。

 それは嘘をついているということではなく、

「見せ方」を含めた"表現"なんだと思います。

 

 本音というのは、たぶん…

 だれにも見せないところで溢れる、

 つぶやきのようなものだと思う。

 

 ことばにならずに沈んでしまう思い、

 説明できないけれどたしかに在る感触。

 そういうもののような気がします。

 

 人がことばにできるものなんて、

 ほんとうにわずかなんじゃないかな。

 その人のなかには、きっともっと、

 ことばにできない思いがいっぱいある。

 

 表現というのは、

 だれかに届くことを前提にしています。

 つまりそこには「見せる」「反応を得る」

 という意識が働いていますよね。

 

 その差は小さいようで、

「本音」と「表現」のあいだには、

 すごく深い溝があると思うんですよね。

 

 そういう意味では、

 酔ったときに漏れることばも、

 激怒したときについ口から出たことばも、

 本音とはかぎらないと思っています。

 

 思わず出てしまったことばは、

 本音と誤解されることが多いけれど、

 そうとはかぎりませんよね。

 

 思ってもいないことを、

 口走ってしまって失敗したこと、

 たくさんありますもの。

 

 あれは決して本音じゃなかった。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 ことばの隙間に、

 その人の本音があるのかもしれない。

 ことばにできない思いがあることを前提に、

 ことばを含めた「表現」は存在する。