大晦日の夜、紅白歌合戦を観ていて、
年配の方が「この人は歌がうまいなぁ」と、
しみじみつぶやくことがあります。
たぶんその方は、
音楽を勉強したわけでも、
たくさんの歌手を聴き比べたわけでもなく、
長い間、歌番組なんかを観ているうちに、
どこが「うまいなぁ」なのか、じぶんなりに
感じ取れるようになったのでしょう。
それって、たぶん
音楽を「感じる力」なんだと思います。
そういう力は、テストの点みたいに
すぐには身につかないものです。
好きなものを、
ずっと見続けることで、
育っていくものだと思うんですよね。
相撲とかもそうですよね。
「なんとなく勝ったな」と思う取り組みでも、
「いまのは凄いな」と見抜く人がいます。
どこをどう動かして、
どう変えたのか感じ取っているんですよね。
それも勉強で身につけたというより、
好きで見続けているからこそ分かること。
それだってれっきとした、
「知性」なんだと思うんですよね。
ある領域を好きで、
それとちゃんとつきあっている人たちが、
いいもの、わるいもの、可能性のあるもの、
そういうものをしっかり感じ取って、
理解しているということは、
すべて知性だと思います。
明治の知識人たちのような、
漢籍の素養があり、外国語ができて、
専門知識を持っているという知性、
戦後の思想家や文学者たちのような、
教養と知性、そういう知性は、
たしかに減衰しているのかもしれない。
でも、近年になって
著しく発達したデジタル教養を含めて、
人間界全体の「知性の総量」というのは、
ずっと変わらず一定なのかもしれない。
知性の総量が不変だとすると、
それってすごい希望だと思います。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
昔とは別のかたちで、
知性は育っているのかもしれない。
