「慶應幼稚舎⑸」 第六章 無宗教系附属編⑭
「幼稚舎の保護者の変遷」
戦後の幼稚舎は混乱期に誕生した中小企業一族・戦前戦後を通じて有名な老舗の飲食や菓子などの経営者一族・戦前からの基幹産業の創業者一族・名家の一族が中心となって支えて気ました。三代目社長の三分の一が慶應出身者というデーターを雑誌で見たことがありますが、その中に幼稚舎出身割合は高いと想像できます。
その頃の幼稚舎受験では、ほぼ全員が慶應(幼稚舎ファミリー)の子女ばかりが合格していたと誤解されがちですが、出身者の第一子のケースで男子は四~五人に一人が合格。女子は受験を断念するぐらいの確立の低さですから、現在とさほど変わりません。
それでも戦後の混沌とした時代を過ぎ、高度成長期を背景にした企業オーナーを中心にバブル時期までは幼稚舎にどんどん新世代の慶應ファミリーを生み出していったように思います。高収入世帯と低収入世帯との格差が大きく中間帯が薄い時代は幼稚舎のようなタイプの附属は、高収入世帯にとっては居心地の良い環境だったと思います。
しかしながら戦後も六十年以上が過ぎ、時代の変化に対応できない企業の衰退や名家の没落などの要因で学習院や聖心等と同様に昔ながらの保護者層だけで生徒を揃えられません。しかしながら慶應義塾は時代に対応し、人材を揃えるのが得意な組織ですから、時代の変化を捉えた将来の慶應人脈の原石を選んでいるのです。
以前は、子供が生まれたら、お世話になった担任教師等に報告し、水面下の運動をするのが出身者の常でしたが、最近は出身者が幼稚舎を訪問するとか、退職された先生に現職の教員を紹介して頂くような行為を幼稚舎が意識的に避けています。それは出身者にとって、「何と水臭い…」と感じる対応なのですが、どうも将来を見据えた意図的なものを感じるのです。
麹町慶進会 塾長 島村 美輝
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