恵伸会 たむらのひとりごと -5ページ目

悲しい事ですが・・・

ここ1週間で、当法人が運営するサンレジデンス湘南にご入居いただいているお客様が、老衰でお二人ご逝去されました。


お二人とも私が入職する以前から同施設で生活をされていた方でした。


介護というものを何も知らないで入職した私にとって、お客様から多くのことを教えていただけた方々。


恵伸会 たむらのひとりごと-ご逝去


その方々が立て続けにご逝去されたのは、私にとってとても大きな事です。


ご家族のご希望で、私たちの施設内で、ご家族・スタッフが協力しあって納棺をさせていただき、出棺の支援ができたことは、何事にも変えられない心の財産になりました。


近年当施設では、病院ではなく、施設内にて終末期をご希望されるお客様のご要望に出来るだけ応えるべく、ドクターにもご協力をいただきながら、関わりを持たせていただいた多くのスタッフでお送りをさせていただくことが、開設時の目標であったことが、確実に行える体制になってきた、そんな実感ができる日々。


高齢者施設内で、私たちの手で、看取り・儀式を施行する、それって以前はタブー視された業界でしたが、そんなお手伝いがしたいと思ってきたことは、間違いではなかったと、成長してきたスタッフ・施設・法人に感無量。


現場で活躍する次代を担うスタッフは、更なる目標は何を掲げてくれるか楽しみです。



資格誕生の背景

私たちが活動する生活支援の職場には資格を有する職員が大勢おります。


その資格って、いつくらいに誕生したかというと、医師(明治39年)、栄養士(昭和22年)、保育士(昭和23年)、保健師・看護師(昭和23年)社会福祉士・介護福祉士(昭和62年)。


名称が変わったり業務範囲が変わったりしているモノもありますが、資格誕生のルーツは戦後混乱期や高齢社会を迎える時代背景が資格を誕生させています。


但し、資格が誕生する前には、誰がこの役割を負っていたのでしょうか?


それは、地域毎にそれを互いに補ってきた「絆」が存在しました。


その存在が、今は仕事となり、サービスを提供するようになった。


そのことを、忘れずに私どものような生活支援事業者は活動しないといけないですよね。


昔は、共助の発想の中で、今以上に心温まる支援が全国どこにでも存在していたのです。


そんな日本を取り戻したいですよね。


学童保育の行く末!

2月19日の午前中、平塚市内で学童保育を運営する事業者を対象とした説明会が開催され、スタッフと2名で参加。



恵伸会 たむらのひとりごと-学童説明会


参加したのは31団体35教室。


そのうち、4団体が市内で保育園を運営する社会福祉法人。


それ以外の大半は保護者会が運営する任意団体。


国は、この問題をどう捉えているのでしょうか?


保育所の待機児童のことだけに集中しているようにしか思えません。


神奈川県内でも新設の保育園が毎年乱立し、全体の保育園児数は増加しています。


つまり、卒園児数も自ずと増加します。


その卒園児は、小学校に進学すると大半は放課後の生活の場として学童保育を希望する。


その受け皿が増えていない。


つまり、放課後に行き場のなくなった小学校低学年の児童が増加する。


頭の良い、厚生労働省の役人だったら絶対に解っているのに、何にも手を付けない。


また、保護者会が運営する学童クラブでは、役員に選出された場合、仕事と両立することが難しく、板ばさみ状態の保護者の方も存在する。


一般の学童保育では、年間費として1年分の利用料金を納入させ、退会したとしても返金をさせないシステムが大半で、既に国民生活センターが消費者保護に抵触すると注意勧告している。


そんなの、普通に考えたら当たり前ですよね。


早急に、学童保育の有り方を国がしっかりと示さないと、保育園を卒園した保護者は仕事を辞めなくてはいけなくなっちゃうますよ。


そのことがおかしいと思い、開始した学童保育ですが、異色扱いされるだけで、業界を変える力まで行っていない自分が情けなく思います。


これじゃ、ますます納税者は減っちゃうんですよね。


税と社会保障改革の一体化も良いけど、もっとシステマティックに物事を考えていかないと・・・


なんかしっくりきていないので、愚痴になってしまっていますが・・・


新規参入しようとされている方には、ハードルも手ごろな事業分野です。