どうも、落語研究会能登班です。
本来はこの記事で、能登で一体どんなことがあって、どんな落語をして、現地の方々がどんな反応をしていたのかということを書くものだろうと思います。
しかし私はそうしたことをあまり堂々とは書きたくない。
私は「ボランティア」という言葉を使う人には懐疑的です。
ましてその様子を広告するものではないと考えています。
そもそもこんな状況で能登に行くこと、それ自体が間違いであったと考えます。
OBからの指示で能登へ行くことになりました。
能登へ、この素人が落語の慰問をすることになったのです。
一体、プロでもないようなズブの素人に、被災地で何ができるというのでしょう。
この記事を書く事自体、私は恐れています。
何もできない癖に、こんな時期に能登へ行く厚顔無恥であるということを晒すことになりかねないと思うからです。それでも、一応、ここに記録します。
何十年も前の大先輩が、今まさに震災の被害で大変な能登で、現役の我々が落語の勉強をさせていただけるせっかくの機会を用意してくださったことを、ここに記録します。
もちろん、被災地の方々の生活を妨げるようなことは、誓って一切やっていないつもりです。
現地の協力者の方々の指示によく従い、現地の方々に迷惑を掛けないように細心の注意を払ってきたつもりです。
尤も、この時期に能登に行くこと自体が間違いなく迷惑だとは思いますが。
能登の様子は、ニュースで観ていたものよりもずっと悲惨なものでした。
その様子を逐一表現しようとすると手垢がつくので止しますが、真横に倒れたビル、屋根だけになった家屋をみたとき、無力な自分が情けなく、恥ずかしく思いました。
こんな状況の街で下手な落語をやって、笑いを取ろうとすること自体、不謹慎だと思いました。
だって、ただの大学生なのですから。
無力なら、落語なんかじゃなくて、自分にできる支援をするべきだったと思いました。
それでも私たちは行かなくてはなりませんでした。せっかく大先輩が用意してくださった機会を無駄にする訳にも、我々の落語を楽しみにされているらしい方々を裏切る訳にもいかなかったからです。
自分のくだらない落語を求めている人が一体どこにいるのか。
家を出るときから考えていました。
そんな人はいない、と結論づけていました。
プロでもない素人芸は、現地にとっては本当に要らないものだと思っていました。
それでも、能登の人々は温かく私たちを迎えてくれました。
私たちの落語を楽しみに見に来たと、私たちに言ってくれる人がありました。
またぜひ来てくださいと、私たちに言ってくれる人がありました。
能登は優しや土までも、という言葉は本当でした。
下手な落語を最後まで聞いてくださって、優しく笑ってくれました。
その気持ちが有難いのと同時に、自分には下手な落語しかできないことが悔しくて仕方がありませんでした。
「はるばる東京から来てくださってありがとうございます」「どうか気をつけてお帰り下さい」「また是非いらしてください」
いいえ、私たちは何もしていないのです。何もできないのに来て、何もできないまま帰るのです。耳汚しを最後まで温かく聞いてくださって、御礼をしなければならないのは間違いなくこちら側なのです。
今回、私たちは能登の方々に何かを施したということでは断じてありません。
むしろお邪魔をしてしまったのです。
これは慰問、というような傲慢な言葉で表現していい代物ではないのです。
能登の人々を喜ばせた、という意識はまるでありません。
下手な落語を温かく迎え入れてくださったことに、自分があまりに無力であることに、ただ恥じ入るばかりです。