平素より大変お世話になっております。
本年度葉山部門主務を務めました、竹下瑛貴です。
私事ですが、9月に大学を卒業いたしました。
単位数は最低数136ぴったりで1単位でも落とすと卒業できないので内心ヒヤヒヤしてましたが、
無事できました。
晴れてニート、フリーターとして過ごしています。
親に感謝です。
卒業ブログと言われても何を書いていいのかさっぱり分からないので、柄にもなく自分語りをしようと思います。
聞いてもないのに自分の話をつらつらするのは今回で最後にするんで許してください(笑)
葉山について吐けることは全部吐いておこうと思います。
僕は大学では旅行サークルに入ろうと思っていました。
これは誰にも言ってないと思います。
行ったことない場所に行ってみたい
見たことないものを見てみたい
やったことないことをやってみたい
適当な理由ですが、
大学生は何をやっても許される期間だと思っていたので、とりあえず新しい場所に行って新しいことに触れたいと思っていました。
そんなことを考えていた高校3年生の3月、
コロナがやってきました。
旅行はおろか、「不要不急の外出」は控えてねっていう世界になりました。
1年の1学期目はキャンパスも立ち入り禁止になって、授業は全部オンラインになって、
今では信じられない話ですが、一部の一年生は対面の授業を開始しろという署名活動までしてました(大爆笑)。
渡航制限、入国制限が解除される目星もつかず、
そんな中で、方向転換を余儀なくされたというわけです。
「なんかおもしろいことできないかなぁ」って思いながらいろんなサークルを見ていた時に、
ふと3年の数学で一緒のクラスになった1G同期の永井くんとの話を思い出しました。(これが鈴木先生の数学のクラスだったのは何かの縁かもしれません)
そこで緊急事態宣言が解除された7月くらいに連絡をして、岩崎さんとの三者Zoom面談をしてもらいました。
今振り返ってみたらその時に岩崎さんが伝えてくれた内容の9.5割理解してなかったと思いますが、
「なんかおもろいこと、、、これな気がする」となんとなく感じたんだと思います。
体験も行かずにそのまま入部しました。
入部して1か月ほどで岩崎さん、土田さん、水野さんが引退されて6人になりました。コロナもあり、一緒にフルで合宿こそ過ごせませんでしたが、葉山とは何かの基礎をこのお三方から学びました。
今でもとても感謝しています。
特にZoom面談での岩崎さんの話の中で理解できた0.5割、「遠泳でゴール地点で足をついた時に世界が変わった」という話はこの5年間でずっとモチベーションの根底にありました。
6人時代はなんだかんだ一番記憶に残っています。
感染対策で他団体と共同で利用ができなかったので、ひっろい協生館プールを6人で独占していたことも当たり前だと思ってました。
当時はただひたすらに片桐さんに追いつくために練習に励んでました。
マネージャーもいなかったので横目で隣のコースをチラチラ見て、たまに片桐さんよりはやく帰ってこれると心の中でガッツポーズしてました。
そんな中、非常事態宣言が1月にもう一回出てプールでの練習ができなくなりました。
葉山ではよく冬になるとモチベーションが低下するという現象があるんですが、この時期は今振り返ると結構すごい状況でした。
朝起きてZoomで筋トレやヨガ、ラントレをやるんですが、この緊急事態宣言は結局3月の終わりぐらいまで出ることになります。
一か月もすれば筋トレ、ヨガ、ラントレにも飽きてきて、全員最初から最後まで画面オフで終わる日もありました。(ついでに飯田さんが剽窃疑惑で留年の危機にいました)
そんな終わってる雰囲気のZoomに2月のある日、7人目が入ってきました。
彼がニヤニヤしながら「僕が葉山を変えます!!」と力強く言って一気に雰囲気を変えた瞬間は忘れられません。
そうです、野田です。
7人目が入ったといううれしさもありましたが、それ以上に練習の雰囲気を盛り上げているところはすごいなと思って尊敬してました。
なんか太陽みたいな人が入ってきたなと。
楽しくやれないと続けられるものも続きませんからね。大事だと思います。僕もすごい助けられました。
4月に入ってからは野田のほかに4人入ってくれました。
新歓の食事会では油屋会の子にインパクトで負けていたのに、しれっと泳法ガチ勢だった三木。
(どこに行っていたのか忘れましたが)地下鉄の中で、一番最初のトライアルで篠田に絶対勝つと言い、有言実行したときはすごいなぁと内心ビビったのと同時にワクワクしてました。
そして問題児だった前田(笑)。
色々ありましたが、6人時代を経験した人は練習後にタイムが残るということに全員感謝していました。
前田が入る前は壁をタッチした直後にクロックを見てタイムをなんとなく把握するという感じだったので、前田がいて水泳部の体裁を取り戻すことができたといっても過言ではないと思います。
そんな新しい風に乗って迎えた夏、僕がはじめて挑む遠泳は葉山-大磯でした。
予備日を最後まで引っ張って挑んだこの遠泳で、僕は飯田さんと野田に引っ張ってもらいながらも途中でリタイアしてしまいました。
監視船に上がってからは記憶が断片的にしかないんですが、水野さんの車で病院まで連れて行ってもらい、気が付いたら同じ泳者だったはずの吉崎に介抱してもらっていました(?)
学責の片桐さんが泳者4人を全員の家まで送ってくれたハイエースの車内の雰囲気は忘れられません。
無力感や大磯まで来てくれていた高校生への申し訳なさなどいろんな感情が混ざって虚無でした。
これが今年の葉山-伊東につながっていきます。
次の年は高校葉山出身者いっぱいと健斗が入ってくれました。
このあたりから練習がだいぶにぎやかになってきたと思います。
そしてこの夏に留学することになりました。
僕は第二遠泳直前に足を切ってしまい、海水は2週間ダメだと医者から告げられ、その時は台風も接近しており早めに館山から離れることになりました。
飯田さん、片桐さんの最後の夏合宿を半分で離れてしまい、また最上級生になる代を無責任にも他の同期に任せきりにしてしまいました。
大変申し訳なく思っています。
それでもなおプルブイ付の日本食を送ってくれたり、
帰国してすぐ暖かく迎え入れてくれた121代には感謝してもしきれません。
女子ーズや葉山同期の二人、そして岩城と会ったのも帰国してすぐだったと思います。
帰国してすぐ、なんとなく葉山の雰囲気の変化を感じました。
少しだけ浦島太郎でしたが、すぐに新しい面白さにも慣れました。
この夏、僕が泳いだ遠泳は岩井-根本でした。
洲崎越えです。この一年前も直前の海域変更で外房に出ることは出来ていませんでした。
スタートをして、岩井を出るところまではすいすい進みました。
しかし途中からなんとなく泳者みんな異変には気づきはじめました。
どんだけ泳いでも、ペースを上げても後ろの大房岬は小さくならないし、前の洲崎は全然大きくならない。
葉山-大磯の全然近づいてこない江の島のシルエットを思い出しました。
結果は塩見ゴール。
ゴール後の合宿所のお風呂は、あの日のハイエースの車内を思い出して軽くトラウマになりました。
ただひたすらに遠泳を完泳してみたかった。
そこで無理を言ってもう一年続けさせてもらいました。
主務という大役まで任せてもらいました。
しかしいざ最上級生になってみると、いきなり見えるものがとても広くなり、
単純に「遠泳を完泳したい」なんて言ってられなくなっていきました。
部を支えながら、遠泳も作っていく。
反省点は無限にありますが、同期4人で最上級生としてがむしゃらに命を燃やし続けることはできたと思っています。
主務としては本当にいろんな人に迷惑をかけました。
7月の初めには自分個人の問題でついにパンクして同期にぶつかってしまいました。
まともに謝ってなかったのでこの場を借りて謝ります。
本当に申し訳なかったです。
それでも本当にいろんな人と関わって学ぶことができ、とてもいい経験をさせてもらったと振り返って思います。
水泳部内の主務・副務陣が仲良かったのも助かりました。
みんなと話すのはすごくいいリフレッシュになりました。
他の3部門に負けないような結果を残せて良かったです。
最後の夏はおもろい一年生が10人も入ってきてくれて、とても楽しく過ごせました。
宇佐見の怪我こそあれど、大きすぎる事故もなくとても充実した夏でした。
第三遠泳と第一遠泳では学責を担わせてもらいました。
特に第一遠泳はFortiaの故障とか地震とか、色々壁がありすぎましたが、全員完泳という結果になりとてもうれしかったです。
他では絶対にできない貴重な経験をさせてもらいました。
達成感はこれまでの人生で味わったことがないようなものでした。
個人成績で何一つ実績を残せなかった僕にとってこの二つの遠泳は誇りです。ありがとう。
第二遠泳は台風7号と台風10号にドストライクでした。
毎朝起きるたびに進路と速度を変える台風10号くんは強敵でしたね。
結果は遠泳当日に海域変更で塩見-岩井に。
ギリギリまで何とか実施方法を模索し続けたサポートと学責の三木には頭が上がりません。
そして塩見-岩井を実施してくれてありがとう。おかげではじめて横断幕をくぐることができました。
全遠泳全泳者完泳。
第三遠泳
第一遠泳
第二遠泳
成し遂げました。
あらためて、旅行サークルじゃなくて葉山を選んでよかったです。
葉山部門の活動は本当に葉山部門でしかできないんでね。
さて、長すぎる回想シーンをここまで読んでくれているあなたと同じくらい書いている僕も疲れてきました。
まとめます。
合宿の終わりに鈴木先生が「紳士とは」という話をしていらっしゃいました。
ひどく刺さりました。
僕は何かにつけて言い訳をして、常にテイカー思考だったと思います。
色んな人からもらい続けてまともに返すことができませんでした。
遅れてしまいますが、受け取ったものはこれからはOBとして返していければと思います。
いつでもご飯誘ってください。
(先導ボート以外なら)何でもできると思うんで遠泳も遠慮なく呼んでください。
もちろん運転も任せてください
現役へ
葉山の生活は意外とあっと言う間に終わってしまいます。
楽しいことも苦しいこともすべて全力で楽しんでください。
この先何をするのかいろんな人に最近聞かれます。
葉山での五年間、うまくいかないことの方が多かったですが、とても楽しかったです。
葉山で受けた刺激に負けないようなおもろい人生を歩んでいけるように頑張ります。
いつかは人に何かを施せる紳士になれるように。
peace out
次は太陽のように明るい
本年度水泳部葉山部門副将、および体育会本部主幹の野田君です。