ラビリンス。
まさにこの言葉どおり。
ちゃんと『愛知の山城 ベスト50を歩く』を持参して、地図を見たのに登城路がわからなかったんですねぇ。
おかげで、御津高校目指して、あっちの山に登ってみたり、こっちの山に登ってみたりと、4km近く歩いたと思います。
山登りかつ愛犬を小脇に抱えての登山ですからね。
チビオジサン犬は最初は頑張っていたんですが、だんだん動かなくなって、かたまるんですねぇ・・・
「抱っこしろ」
無言で私を見上げる
おかげで汗だくで、きょうは筋肉痛ですウヒョヒョヒョ
この茂松城跡のブログは、ほかにあまり無いようですね。
県立御津高校正門。この写真向かって右手へ、アスファルトの道を50mほど進む。
こんな場所が見つかるはず。これが登城路。ほかにもありますが。見つからなかった場合は、ご縁がなかったとあきらめたほうがいいです
「これが登城路?」というような入口を入るとすぐにこんな景色。赤土の山なんですね。鉄分豊富です。
落ち葉がうず高く積った崖っぷちの道を歩きしばらくすると、右手に横堀のような削平地が。でも、気にせずに通過してしまったところ、全く違う場所に出てしまいました。さて諦めて戻ってきて「この削平地、もしかしたら?」と思って歩いてみました。とにかく雪のように落ち葉がうず高く積っているので、長靴をはいて歩かないといけないくらいですね。レインシューズなんていうものではなくて「長靴」。
写真向かって左側へ登っていきました。右手が曲輪Ⅱ
登った先には平らな土地。そこから今、登って来た所を写しました。色が茶色っぽい木のあたりに窪みがあります。どうやらそこが虎口だったんですね
あった「茂松城跡」碑 奥に土塁が見えます。北側の土塁が高いですね。
茂松城跡説明板
今川義忠は今川義元のグランパ
横に写しました。これが曲輪Ⅰ跡の様子。奥をぐるりと土塁が囲ってあります。それほど高くなくて0.5~1.5mくらいかな。これは北側を見たところなので、土塁が高く盛ってあります。この北側下はゆるやかな切岸になっていて、下に堀切がありました。
西側の土塁。落ち葉で埋もれていて実際の高さはわかりません。
写真向かって左側が土塁
北東側の大木。根本の太さが独特。奥に土塁が見えます。この大木のあたりから下の曲輪跡に下りることができます。
横に広く写してあります。曲輪Ⅰから見た曲輪Ⅲ 曲輪Ⅰを下りて右手へ行くと井戸跡がありました。
横写し。井戸跡を発見
じっくり見ると、直径3mくらいはあるほどの井戸で、しかも深さが一見5~6mあり、あとは落ち葉で埋もれています。こんなところに落ちたら上がれませんね こんな不気味は井戸は初めてみました 籠城戦に備えた井戸だったのかな?赤土の山城は初めて見ましたが、この井戸から汲む水には鉄分が豊富で、刀傷で貧血に陥った戦士には有難い水だったかも。
横写し。地面にぽっかり空いた穴。いつ掘られた井戸かわかりませんが、16世紀末からこのままだったんでしょうねヒェ~
最初、御津高校から登ってまっすぐ行きすぎたところで遭遇した道。これは堀切かな? この道を下っていくと竹林があり、西部中学校方面へと出ます。
この山城はほとんど整備されておらず、自己責任で登らないと危険だと思いました。
季節が暖かくなればなるほど、蛇や虫など出ますから余計に危険です。
近くに新宮山があり、そこの駐車場に車を停めて歩いて行きましたが、1km弱あったと思います。
しかもその新宮山に秋葉神社がありますが、そこが竹本城跡だと、帰宅して調べてから気づきました。
https://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF-8&q=%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E5%BE%A1%E6%B4%A5%E9%AB%98%E6%A0%A1&fb=1&gl=jp&hq=%E5%BE%A1%E6%B4%A5%E9%AB%98%E6%A0%A1&cid=4024925764671689375&ei=fJY3U72xF4nVkQXSgIHoBg&ved=0CJcBEPwSMAo
駐車場から御津高校へ下りて向かう途中、
「この平らな部分は曲輪じゃない?」
「あの竹藪の中の細い帯状の削平地は帯曲輪じゃない?」
「こんな深い谷をまっすぐ削ったようにしてあるのは切岸じゃない?」
などと会話しながら歩いて疑問視していたんですが、やはり城跡だったわけです。
尾根続きのようですから、竹本城と茂松城は連絡しやすかったんでしょうね。
西部中学の山側にも削平地のようなものがありましたし、結構広範囲にあったのでしょうか。
新宮山駐車場 →秋葉神社(竹本城跡)→ 鶏舎 → 成田製作所 → 池 → 御津高校 → 茂松城跡登城路
まさにこの言葉どおり。
ちゃんと『愛知の山城 ベスト50を歩く』を持参して、地図を見たのに登城路がわからなかったんですねぇ。
おかげで、御津高校目指して、あっちの山に登ってみたり、こっちの山に登ってみたりと、4km近く歩いたと思います。
山登りかつ愛犬を小脇に抱えての登山ですからね。
チビオジサン犬は最初は頑張っていたんですが、だんだん動かなくなって、かたまるんですねぇ・・・
「抱っこしろ」
無言で私を見上げる
おかげで汗だくで、きょうは筋肉痛ですウヒョヒョヒョ
この茂松城跡のブログは、ほかにあまり無いようですね。
県立御津高校正門。この写真向かって右手へ、アスファルトの道を50mほど進む。
こんな場所が見つかるはず。これが登城路。ほかにもありますが。見つからなかった場合は、ご縁がなかったとあきらめたほうがいいです
「これが登城路?」というような入口を入るとすぐにこんな景色。赤土の山なんですね。鉄分豊富です。
落ち葉がうず高く積った崖っぷちの道を歩きしばらくすると、右手に横堀のような削平地が。でも、気にせずに通過してしまったところ、全く違う場所に出てしまいました。さて諦めて戻ってきて「この削平地、もしかしたら?」と思って歩いてみました。とにかく雪のように落ち葉がうず高く積っているので、長靴をはいて歩かないといけないくらいですね。レインシューズなんていうものではなくて「長靴」。
写真向かって左側へ登っていきました。右手が曲輪Ⅱ
登った先には平らな土地。そこから今、登って来た所を写しました。色が茶色っぽい木のあたりに窪みがあります。どうやらそこが虎口だったんですね
あった「茂松城跡」碑 奥に土塁が見えます。北側の土塁が高いですね。
茂松城跡説明板
今川義忠は今川義元のグランパ
横に写しました。これが曲輪Ⅰ跡の様子。奥をぐるりと土塁が囲ってあります。それほど高くなくて0.5~1.5mくらいかな。これは北側を見たところなので、土塁が高く盛ってあります。この北側下はゆるやかな切岸になっていて、下に堀切がありました。
西側の土塁。落ち葉で埋もれていて実際の高さはわかりません。
写真向かって左側が土塁
北東側の大木。根本の太さが独特。奥に土塁が見えます。この大木のあたりから下の曲輪跡に下りることができます。
横に広く写してあります。曲輪Ⅰから見た曲輪Ⅲ 曲輪Ⅰを下りて右手へ行くと井戸跡がありました。
横写し。井戸跡を発見
じっくり見ると、直径3mくらいはあるほどの井戸で、しかも深さが一見5~6mあり、あとは落ち葉で埋もれています。こんなところに落ちたら上がれませんね こんな不気味は井戸は初めてみました 籠城戦に備えた井戸だったのかな?赤土の山城は初めて見ましたが、この井戸から汲む水には鉄分が豊富で、刀傷で貧血に陥った戦士には有難い水だったかも。
横写し。地面にぽっかり空いた穴。いつ掘られた井戸かわかりませんが、16世紀末からこのままだったんでしょうねヒェ~
最初、御津高校から登ってまっすぐ行きすぎたところで遭遇した道。これは堀切かな? この道を下っていくと竹林があり、西部中学校方面へと出ます。
この山城はほとんど整備されておらず、自己責任で登らないと危険だと思いました。
季節が暖かくなればなるほど、蛇や虫など出ますから余計に危険です。
近くに新宮山があり、そこの駐車場に車を停めて歩いて行きましたが、1km弱あったと思います。
しかもその新宮山に秋葉神社がありますが、そこが竹本城跡だと、帰宅して調べてから気づきました。
https://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF-8&q=%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E5%BE%A1%E6%B4%A5%E9%AB%98%E6%A0%A1&fb=1&gl=jp&hq=%E5%BE%A1%E6%B4%A5%E9%AB%98%E6%A0%A1&cid=4024925764671689375&ei=fJY3U72xF4nVkQXSgIHoBg&ved=0CJcBEPwSMAo
駐車場から御津高校へ下りて向かう途中、
「この平らな部分は曲輪じゃない?」
「あの竹藪の中の細い帯状の削平地は帯曲輪じゃない?」
「こんな深い谷をまっすぐ削ったようにしてあるのは切岸じゃない?」
などと会話しながら歩いて疑問視していたんですが、やはり城跡だったわけです。
尾根続きのようですから、竹本城と茂松城は連絡しやすかったんでしょうね。
西部中学の山側にも削平地のようなものがありましたし、結構広範囲にあったのでしょうか。
新宮山駐車場 →秋葉神社(竹本城跡)→ 鶏舎 → 成田製作所 → 池 → 御津高校 → 茂松城跡登城路