全く知識がないまま行きました。

でも、わかりやすい場所にあるので道に迷わなかったですね。

国道一号線から見える山、東海道沿いの山と思って地図どおりに行けば行けました。

国道一号線「長沢」を音羽側へ曲がりまっすぐ行けば、すぐにわかります。

音羽川が北側に天然の水堀としてある位置のようです。


本丸周辺がコンパクトな割には、三日月掘武者隠し5~6つの井戸跡、堀切など広範囲に見所がある山城跡でした。


説明によれば、愛知県下最大の全山、山城の遺構があるのだとか。

近江の観音寺城跡も全山が遺構跡があったようですが、山林になっていたため確認できませんでした。

というより、あんな急傾斜の山城、全部見ることは無理です。

その点、岩略寺城跡は、見易かったような。

さて、機種変したばかりで慣れていなくて、写真を横に写してしまいました。ガーン

かなり古くから歴史のあるお城跡のようです。

いろいろな山城跡を見てきましたが、定期的に整備されているせいか、標高が高くて、歩きやすくて、気持ちよく見てまわることができた山城跡です。

では、進行した順番に。



国道一号線から音羽川を渡って行くと、行けるはずの道に柵が。イノシシなどの害獣を山から出さないようにする柵。これを開けて、車を侵入させ、再び柵を、鍵で厳重に締めてから登りました。国道一号線沿いの山城は、岡崎も豊川もこんな厳重な柵があるので、出入りは鍵を厳重に締め、マナーを守らないといけませんね。
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岩略寺城跡説明板 :
「本県最大の遺構」・・・ん~~~ドクロこのフレーズ、山中城跡にもなかったっけ?ドクロ
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車での登城路。写真向かって右側がになっています。さすが「長沢」という地名だけあります。これが西側の天然のになるのかな?
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イノシシ防禦ゲートを抜けてすぐのところに「近道」の案内板が。これは徒歩で登る道ねあせるスルーあせる この登城路には、きちんとした段になった石塁がありました。
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歩きでの登城路入口付近に車を停めて振り返ったら桜が桜
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岩略寺城縄張図
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岩略寺城縄張図看板向かって右手にある登城路入口 この札の右手下の谷は、深くて急傾斜。
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登城路から見える桜。もう春ですね桜
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登城路
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登城路向かって左手に堀切が。
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どんどん歩いて行きます。定期的に整備されているのか、歩きやすい登城路です。環境が爽やかな感じです。
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盛りあがった土塁部分を抜けると、左手下に見えた曲輪。腰曲輪かな。
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右手には切岸の山があり、そこが本曲輪のようです。
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本曲輪への道は、こんな感じ。でも、登りません。スルー。どんどん前へ前へと進みます。
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前へ進むと三日月堀叫び
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本曲輪の北西側を囲むように三日月堀があります。本曲輪の井戸がこの上に2つあるから、井戸を守るための三日月堀かな? 
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三日月堀を抜けたあたり。細かい曲輪があちこちにあるようです。
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東曲輪跡
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東曲輪跡から見上げた二の曲輪跡の切岸
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東曲輪跡南側に井戸跡が叫び こんな崖っぷちに。
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井戸跡を覗く。
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枯葉で埋もれているし小型の井戸です。
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井戸跡の周囲は切岸。どうやって水を汲んだのかしら。水を汲むとき足を滑らすような位置に井戸ガーン
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さて、本曲輪跡へ行かなくては。井戸跡から顔をあげてみたらこんな道?が。
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切岸の崖っぷちを歩いて行くと、すぐ近くにまたまた井戸跡が。これも0.5~1mくらいの直径。これまた注意していなければ井戸に落ちてしまいそうな位置にあります。
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さて、さらに切岸崖っぷちを登って行きます。
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写真向かって左側は切岸。右側は本曲輪跡。
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桝形虎口跡を見上げたところ。
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やっと本曲輪跡
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本曲輪跡。奥に土塁が見えます。
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本曲輪跡。結構広いです。幼稚園の運動会と小学校の運動会が開ける中間くらいの広さかな。
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桝形虎口北側の窪み。
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桝形虎口跡を上から見たところ。
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長沢の山城跡」と「井戸曲輪北西角に井戸跡と東に向かって細長い帯曲輪がありました。
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本曲輪井戸跡
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本曲輪井戸跡。これも直径0.5~1mくらい。それほど大きくはないです。
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二の曲輪跡
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三日月堀側(北西)の登り口。
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下りていくと
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またもや井戸跡が右手に叫び
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この井戸跡は大きいです。直径が1~1.5mほどあるでしょうか。
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南曲輪跡。本曲輪跡の南側下にあり東西に細長いです。
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ふぅDASH! やっと駐車場に出ました。桜がまぶしい音譜
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山を下りてを見ると立派な石塁ができていました。
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参考)
http://www.higashimikawa.jp/spot/detail.php?id=410


真面目に首をかしげて見てくださった方。


首が疲れてしまったことでしょう。


申し訳ありませんでした。


この城跡のポイントは、井戸が多いこと!!

御津町長沢には、武田氏が好んだ三日月堀があること!!

この三日月は、改修されたときにできたのかもしれませんね。


それから、造りがきちんとしていること!!


整然とした造りのまま残っているということは、これは深溝松平家が城主だったときの影響でしょうか。(きちんとした深溝家松平家のファンなので、こう考えますラブラブ