3回目の訪問です。


1回目は仕事のついでに寄り、路面電車と豊川とお城跡と公園に癒されて帰りました。


2回目は友人♀とドライブがてらに行きました。


3回目の今回は、ちょっとだけお城の知識を身につけて行きました。


「池田家」がからんでいるということで、岡山城とかぶる部分が気になったこともあります。


岡山城初代城主が、池田輝政の次男池田忠継


岡山城のボランティアのオジサマが、


「三河は豊橋だろう? 吉田だよ。池田はそことからんでるんだよ。」


なんて教えてくださったので、気になっていたんです。


オジサマのアタマの中では、三河=豊橋 となっていたようです。


ついでに池田輝政の墓所について調べてみました。


珍しい体裁のお墓のようです。
       ↓

和意谷池田家墓所(岡山藩主 池田家墓所)

    (池田輝政の墓所)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%84%8F%E8%B0%B7%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%AE%B6%E5%A2%93%E6%89%80




池田恒與 = 池田輝政のパパ



輝政パパ(恒與)は、小牧・長久手の戦いで戦死。


長久手に石碑があります。



池田輝政 = 大垣城主→岐阜城主→吉田城主(26歳)→姫路城主
 
(参考)
http://www.geocities.jp/qbpbd900/yoshidajo.html

豊橋公園(吉田城)案内板
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三の丸口門跡。(豊橋公園(吉田城城跡)入口)巨大な土塁跡が右へ続いています。
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本丸「南御多門」(正面入口)への橋(下はお堀)
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本丸を巡るお堀。お堀を掘った土は土塁として利用したようです。
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「千貫櫓跡」へ登る階段
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「千貫櫓跡」で撮った石碑
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「千貫櫓跡」から撮った南御多門反対側土塁跡(辰巳櫓跡)
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このお城跡には、とにかく巨木&古木があちこちにあります。鉄櫓手前の土塁の上にそびえたつ巨木もその一つ。巨木の向こうに見える黒い影は写真撮影をする男性です。どれだけ太くて巨大かわかります叫び
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上の巨木の根っこ。京都の鞍馬に「木の根道」がありますが、そこの木々もこんな感じです。
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鉄櫓(復興櫓)と上の巨木の全景
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巨木の根っこの下の部分。かなりの強風があたる場所なんですが、長い長い時間を生き抜いてきただけあります。すごい迫力叫び
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鉄櫓近くの土塁から下には石垣とお堀と豊川が見えます。
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土塁下の石垣。野面積み。
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櫓跡へ登る急な階段。これを登ったら、散歩していた高齢のオジサマに「エラい根気よう登ったなぁ」と感心されちゃいましたにひひ観音寺城を制覇したら何も怖くないかも^^
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ちなみにこの櫓跡への階段を上から写すとこんな傾斜ですにひひ
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本丸土塁南東側
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南東土塁上 辰巳櫓跡
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本丸土塁南側。南御多門のあたり。右端石垣の積み方が野面積みではなく算木積みのようです。
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裏御門跡
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本丸と二の丸の間のお堀(裏御門を出たところ)
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鉄櫓隣りから反対側の土塁(入道櫓跡)を写す。階段は豊川側へ下りる階段
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鉄櫓側から北に見える豊川
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入道櫓跡(北東にある)
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入道櫓跡側から鉄櫓側を写す。右下は豊川
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豊川側へ下りていく階段。これも急傾斜ドクロ
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下から見ても急傾斜ドクロ
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階段を下りたところには腰曲輪跡が。石垣が新しい造り。野面積みではないです。
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鉄櫓下の石垣。これは完全なる野面積み。池田輝政が造ったとされる吉田城最古の石垣。岡山城の野面積みの積み方と石材がそっくりショック!
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以前「岡山城」訪問のブログにも書きましたが、宇喜多秀家時代の石垣は地中深く埋まっていて、城主が変わるごとに埋め立てて新しい書院造り様の建物を建てたり、石垣をリニューアルしたりしていたとか。

城主によって積み方が変わっていたようです。

なので、この吉田城の鉄櫓下の野面積みは一番古い石垣の造りで、南御多門や本丸北側豊川へ下りていく辺りの石垣の角の造りはきちんとした石が組んであるので新しく補修した(徳川時代?)のでしょうka

http://ameblo.jp/keikostory/entry-11751782457.html

豊川に面した腰曲輪
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本丸周囲のお堀跡。豊川側の腰曲輪から撮影。
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金柑丸跡と蔵跡との間のお堀跡
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蛇行した豊川。小さな舟に立って漁をする男性一人。穏やかな風景にほっと癒されます。中国の桂林で見たような長閑な風景です。
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豊川側から芝生広場へと上がる際に露出していた礫層。このお城は、かつては豊川の水量の影響(氾濫)をかなり受けた土地なのでは?
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