観音寺城遠景
この写真の道路の先にある看板のむこうの山裾の森林の中に、石垣の跡を発見!
こんな山裾から石垣があちこちに見えるなんて
さて、右上に小さく見えるのが観音正寺。
ここから山を見ながら走り、少し離れた集落石寺楽市の駐車場に車を停めて、愛犬を連れて登山を開始しました。
案内図
景清道案内
http://www.azuchi-study.com/kakekiyomiti.htm
進行方向に垂直(横)に、景清道があります。
すでに汗だく!
観音正寺城跡への道標
こんな急傾斜の石段が続きます。
心臓破りの急勾配&ジグザグ&不安定な位置の石段(ノ-_-)ノ~┻━┻
歳月が流れているので不安定な並びになるのも仕方ないですね。
見上げれば、こんな急こう配でジグザク石段
上から見下ろせば、こんな感じです。
手すりが
やっと観音正寺案内板。
観音正寺
登頂したのはいいけれど、もう陽が傾いています。
よく見ると観音正寺の南崖側に降りて行く小道あり。しっかりした石垣です。
降りたと思ったら登る
更に道は細くなる
屋敷跡への道は竹藪。行く勇気がありませんでした。なにせ単身。
屋敷跡への行く手は竹藪
石垣がところどころに見えてきました。そろそろ本丸跡でしょう。
古木の巨木の根
古木の巨木を過ぎたらすぐに石垣が
ようやく本丸跡に
観音寺城跡説明板。
「観音寺城は、近江の守護佐々木六角氏の本城であって、中世の代表的な大山城である。築城は永い年月を経て応仁2年(1468)に完成し、さらに弘治年間鉄砲に備へて大々的に石塁が改修されている。永禄11年9月織田は当城に入城したが城は元のまま残し、佐々木氏に守らせたが、天正10年安土城とともに滅亡した。昭和44・45年近江風土記の丘の関連として本丸付近を整備し発掘調査し当時の遺物や遺構が発見された。・なお全山いたるところに昔を偲ぶ遺構が数多く残っている。」
みごとな虎口石垣
この山の上に、みごとな仕掛けの石垣・・・。
いまだにこんなにしっかり遺っていることのすごさ
本丸跡には、石垣が崩れたものであろうものがゴロゴロと。
互い違いの虎口
石塁の上
何の知識もないまま登山しました。
帰宅して調べてみたら、珍しい構造の山城だったんですね。
歴史も古いし。
虎口石垣は、今まで見たことがない構造でした。
互い違いになっていた?
本丸跡の土塁の中には石垣がありました。
大手口への石段横には排水溝もありましたし、本丸に四角い池のような大きな溝がありました(本丸溜枡跡)
http://www.castlefan.com/data01/kannonji/content/1P3J3804_large.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E5%AF%BA%E5%9F%8E
とにかく毎回のことなんですが、「急げ急げ」と言われる連続で、ゆっくり堪能して見ることができません。
あちこちゆっくり堪能しながら見たいんですが、今回は標高が高い山城だということもあるし、到着したのが午後3時ですから無理。
体力的にも疲労もピークでしたから無理。
ゆっくり見るという夢は、いつ実現するんでしょうね。
城郭研究会にでも入ろうかしら
この写真の道路の先にある看板のむこうの山裾の森林の中に、石垣の跡を発見!
こんな山裾から石垣があちこちに見えるなんて
さて、右上に小さく見えるのが観音正寺。
ここから山を見ながら走り、少し離れた集落石寺楽市の駐車場に車を停めて、愛犬を連れて登山を開始しました。
案内図
景清道案内
http://www.azuchi-study.com/kakekiyomiti.htm
進行方向に垂直(横)に、景清道があります。
すでに汗だく!
観音正寺城跡への道標
こんな急傾斜の石段が続きます。
心臓破りの急勾配&ジグザグ&不安定な位置の石段(ノ-_-)ノ~┻━┻
歳月が流れているので不安定な並びになるのも仕方ないですね。
見上げれば、こんな急こう配でジグザク石段
上から見下ろせば、こんな感じです。
手すりが
やっと観音正寺案内板。
観音正寺
登頂したのはいいけれど、もう陽が傾いています。
よく見ると観音正寺の南崖側に降りて行く小道あり。しっかりした石垣です。
降りたと思ったら登る
更に道は細くなる
屋敷跡への道は竹藪。行く勇気がありませんでした。なにせ単身。
屋敷跡への行く手は竹藪
石垣がところどころに見えてきました。そろそろ本丸跡でしょう。
古木の巨木の根
古木の巨木を過ぎたらすぐに石垣が
ようやく本丸跡に
観音寺城跡説明板。
「観音寺城は、近江の守護佐々木六角氏の本城であって、中世の代表的な大山城である。築城は永い年月を経て応仁2年(1468)に完成し、さらに弘治年間鉄砲に備へて大々的に石塁が改修されている。永禄11年9月織田は当城に入城したが城は元のまま残し、佐々木氏に守らせたが、天正10年安土城とともに滅亡した。昭和44・45年近江風土記の丘の関連として本丸付近を整備し発掘調査し当時の遺物や遺構が発見された。・なお全山いたるところに昔を偲ぶ遺構が数多く残っている。」
みごとな虎口石垣
この山の上に、みごとな仕掛けの石垣・・・。
いまだにこんなにしっかり遺っていることのすごさ
本丸跡には、石垣が崩れたものであろうものがゴロゴロと。
互い違いの虎口
石塁の上
何の知識もないまま登山しました。
帰宅して調べてみたら、珍しい構造の山城だったんですね。
歴史も古いし。
虎口石垣は、今まで見たことがない構造でした。
互い違いになっていた?
本丸跡の土塁の中には石垣がありました。
大手口への石段横には排水溝もありましたし、本丸に四角い池のような大きな溝がありました(本丸溜枡跡)
http://www.castlefan.com/data01/kannonji/content/1P3J3804_large.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E5%AF%BA%E5%9F%8E
とにかく毎回のことなんですが、「急げ急げ」と言われる連続で、ゆっくり堪能して見ることができません。
あちこちゆっくり堪能しながら見たいんですが、今回は標高が高い山城だということもあるし、到着したのが午後3時ですから無理。
体力的にも疲労もピークでしたから無理。
ゆっくり見るという夢は、いつ実現するんでしょうね。
城郭研究会にでも入ろうかしら