こんにちは。

先日、中秋の名月、満月と続いた。

明るい月を仰いでから、眠る日々。

自然界は秋になりつつなる中、

気候の方では残暑、秋にも真夏が踏ん張っている…。

夜も気温が高く、熱中症に備える習慣ができてきた。

 

潤井川の土手で、芒(すすき)、少し萩と似た雰囲気の

蔓藤袴(つるふじばかま)、ピンクの小さな花がかわいい

継子の尻拭い(ままこのしりぬぐい)を取ってきた。

それらに、お彼岸の供え花として頂いた樒(しきみ)の枝を

加えて、籠の花入れに活けてみた。

この籠は、母の形見。

お月見とお彼岸を合わせたような投げ入れ。

 

        

 

そして、お彼岸。

お寺の本堂で手を合わせて、供え物のおはぎが目に入った。

そうだ、忘れていた。お彼岸におはぎをつくるの、たべるの。

酷暑の中、お彼岸を迎えたためか、おはぎのこと、どこかへ

飛んでいた。

 

 頭の片隅、脳の方では、「おはぎをお供えしたい。」

(=本当は自分が食べたい。)が発信された。

 夕食に炊いたご飯。うるち米であるが、急遽、家にあるものを

使っておはぎを作ろう。

粒あんもきな粉もない。すりごまがあった。これを使おう。

ご飯をすりこぎ棒で軽くたたいて、砂糖とゴマとシナモンを

少し入れて混ぜて、俵状に丸めて、それを

すりごまに三温糖を混ぜたものでまぶした。

シナモンはたくさんあるので、少しでも減らしたいだけ。

これで、”なんちゃっておはぎ”ができた。

夜なので、1つだけ味見ということで、食べてみた。

美味しかった。すり胡麻のおはぎ、おいしいぞ!

 

これで、一人自己満足のお彼岸ムードを味わうことができそう。

明日、ささっとお墓の前におはぎを供えて、すぐにもちかえってこよう。

ご先祖様に気持ちだけ…。

今時、お墓に砂糖が入った食品を置けるわけない。

お寺の上空を、カラスが常に旋回していて、狙っている。

 

亡き母がこの私のありさまを見たら、

「アンタって、雑だね。」呆れることだろう。

 

それにしても、行き当たりばったりだなーと思う。(反省)

違う言葉で良いように考えると、

「思い立ったら、そのときに。」

 

そして、また思いだした。

かなり前に読んだ絵本、にしまきかやこさんの絵のもの。

『おもいたったら、そのときも!』があった。

おばあさんが「おもたったら、そのときに」と言って、

どんどん思い立ったことをやっていくお話。

このおばあさんの生き方にあこがれていたので、

忘れられない絵本だった。

 

私も、そのおばあさんとお仲間の年代になってきた。

絵本は、大人、おばあさんにも希望を与えてくれる読み物だ。

 

あのおばあさんが思い立ってすぐできるということは、

気持ちとか、行動力に加えて

これまでの蓄積や経験があるからこそ、できるのでは。

 

私は、ごくごく小さな思い立ったことをできればと思う。