アマチュアバンドを、長いことやってる。
最初は、Gays & Dollsという名前で10年くらい。MCの時オネエ言葉で喋る男性メンバーに女性メンバーが突っ込むという芸風で。これはバンドと言っても伴奏が打ち込みで、メンバー5人中4人がボーカルという変な編成だった。
RolandのシンセとATARIのパソコンを繋いで音を出す。持ち歩けるノートパソコンなんて無いから、スタジオに入るまでの練習は、メンバーの家の部屋にぎゅうぎゅうに集まってやった。デスクトップのモノクロ画面に、蜂がくるくるしてるのが好きだった。
メンバーのお母さんが縫ってくれた衣装を着てカツラをかぶって、年に一度くらい色んな場所で洋楽コピーのライブをやっていた。
ポップスやロック、ソウル。ただ好きな曲を並べるだけではなくて、アレンジを変えたり、裏テーマを決めたり。選曲にはものすごくこだわって、リハに入る前に何ヶ月もかかることもあった。
ひと気もまばらな公園で振り付けを考えたり、時には代々木公園で歌の練習をしたりも。
10年やって(…と言っても、年1のライブだから対してやってない)男性メンバーが忙しくなったりして、一旦バンドは終わった。
ちょうどその頃、女性ボーカルメンバー3人で「スリービックリーズ」と言う、ラッツ&スターの桑マンがプロデュースしたグループを観に行って「次にやる時は生演奏のバンドでやろう!」と決心した。
…とは言うものの、なかなかメンバーが集まらなず、一人がウクレレ、一人がベース、私は小さめのジャンベに手作りの斜めがけストラップを付ける、と言う出で立ちで、3人で演奏しながら歌いはじめた。
弦はウクレレだし、その編成で出来るのは、自動的にハワイっぽいもの。ハワイのナ・レオというグループを見つけて、その三人組の音楽をコピーし始めた。
ナ・レオは「同級生の三人組。結婚しても子どもができても、年に一度はライブをやることを決めている」とどこかで読んで、こりゃー私達と一緒じゃん!と僭越ながら思い、グループ名をパクって「オレオ」に決めた。
やがて一緒にやってくれるミュージシャンが一人二人と現れて、何人も入れ替わりながらバンドの形式になっていった。
相変わらず、選曲にこだわる。
できれば年一ライブやる。
来てもらったお客さんに、楽しんで帰ってもらう。
それだけを考えて、気づけばオレオになってからもゆうに10年を越えていた。
歌が特別うまいわけでもないし、踊りのセンスがあるわけでもないし、見た目が綺麗なわけでもない。
でも、ダメだらけの状況があるからこそ、課題に向かい続けることが出来たんだよなーと、今は思う。
アマチュアバンドなのに、本気で喧嘩したり、泣きたくなるほど落ち込むことは毎度のこと。
「結婚したんだから、いつまでもそんなことやってないで」「子どもが生まれたのにまだそんなことしてるのか」と言う、親のプレッシャーもずっとあった。
途中何度も、一人だったら出来なかったよなーと思いつつ、当たり前の様に、いつでも3人で集まったり、ライブ後の冬眠期(年一のライブが終わったら連絡すら取らない期間が結構長く続く)が終わる頃に、誰からともなく「今度のライブでやりたい曲浮かんだんだよね」と連絡が来るものと思っていた。
しかし。
実はこの2年、バンドに様々なことがあってライブはおろか、リハも全く出来なかった。
私も体調を崩したし、ずっと演奏してくれると思っていたメンバーが新しい夢を叶えるために脱退したり…あっという間にあちらの世界に旅立ってしまったメンバーもいた。
「いま目の前にあることが当たり前ではない。変わらないものはない」
頭ではわかっていたつもりだったけど、心底わかってはいなかったんだなー。結構ショックが大きかった。
でも私も身体が思うように動かなくなってしまった時期があった。病気になったり、体調が崩れたりする要因は、表に出ていないだけで誰しもが自分の中にもっているのだ。
元号が令和になってから、本当に久しぶりに一緒に演奏することが出来た。今日は、セッションだったけど、3人でステージに上がることが出来た。
こんな紆余曲折があっても、私たちは相変わらずのペースで揉めながら悩みながら、ライブの日には心から喜びを感じながらやっていくんだと思う。
先のことは全然わからない。でも、今はやはりお互いのいいとこ悪いとこがまるっと分かっている仲間がありがたいし、バンドって、一番贅沢な趣味だなと思ってる。
(Gemini Theaterでさっき歌いました)

