1月26日(金)に、北海道大学フロンティア基金への寄附に対する感謝状が贈呈されました。その際、私個人からの寄附累計が500万円を超えたので、「紺綬褒章」に推薦したいとのお話しがありました。
紺綬褒章は、リボンがついたメダルで、小さな略賞が付いており、「天皇国璽(てんのうこくじ)」が押印された「賞記」とともに交付されます。
私としては、メダルと賞記は使い途がありませんが、略賞はジャケットの襟章としてお洒落だと思いましたが、改めて考えると、これをもらうために履歴書を書き、戸籍謄本を添付して申請するのは気が進まないので、今回は辞退することにしました。
【紺綬褒章】
*左側の小さいのが略賞
【賞記】
現役時代に公立学校の校長や消防署の署長などを務めたり、民生児童委員、統計調査員として長年公共的な役割を務めた方などは、勲章・褒賞を有り難がりますが、私は、完全に醒めています。
長崎で被爆しながら、「長崎の鐘」、「この子を残して」など原爆の悲劇を後世に伝える数多くの文学作品を遺した永井隆氏は、エッセイ集「長崎の花」に、次のように書いています。
【ざぼん】
子供の頭より大きいざぼんを抱いて、にこにこしている有様は千万長者みたいです。さていよいよ食べることにきめて厚い皮をむいてゆくと、玉手箱の煙のように、何ともいえぬ芳しい香りが立ち上がります。口にいれてみると、うまいにはうまいですが、あんなにあこがれたほどの味ではありません。国務大臣になった人みたいなものです。
「国務大臣になった人みたいなものです。」のシチュエーションは、「勲章(褒賞)をもらった人みたいなものです。」に置き換えても理解できます。私にとっては、望ましいシチュエーションではありません。![]()


