私の知人で、1993年7月から2年間、ロシアのサハリン州ユジノサハリンスク市に駐在し、社団法人北海道貿易物産振興会の初代ユジノサハリンスク所長を勤めた方が、ユジノサハリンスクでの日常と、日々感じたことをまとめて本を書いています。

 

【ユジノサハリンスク日記】

 

 この本の中で、ロシア的な物事の進め方について、次のとおり書いています。

 

【ロシア的プロセス】

1つ目 セクショナリズムが貫徹し仕事が個人に所属しているため、担当者本人がいなくなると、すべてがアウトになる。

2つ目 中途での報告、連絡ということをおよそやらない。

3つ目 準備、役割分担、進捗の点検、根廻しなど日本的な一連の手法があっさりと否定され、「私=決める人」と「あんた=待つ人」という絶対依存の関係を宣告される。待ちなさい。以上。終り。それ以外にやることはない。

 

 こうした状況に対しては、次の反応パターンが生じます。

 

【ロシア的プロセスへの反応パターン】

1つ目 ロシア人に対して、ものすごく疑い深くなる。念には念を入れて、くどいほど確かめるようになる。

2つ目 達観するに至る。すなわち予想とか見通しということを一切しなくなる。

 

 ユジノサハリンスク日記の著者によれば、ほとんどのロシア人は、2つ目のパターンで行動しており、彼らはごく近い将来のこと以外、見事なほど異口同音に不可知論を決め込むそうです。

 

 報告・連絡を大切にし、根廻しと気配りを欠かさない日本人にとって、横着かつ傲慢なロシア人はとても歯が立たない「無敵の人」です。上から下まですべてそうなので、日本人にとってロシアは何とも不気味な国、すなわち「おそロシア」と感じられるわけです。