寺山観音寺 遍照 奉納 | 宇都宮の書道教室【啓桜書道教室】

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令和五年十月二十九日大安吉日の未の刻、栃木県矢板市は寺山観音寺にて石碑「遍照」が除幕式いとしめやかに開催せり






 

えー、古文にすればその厳かなることが伝はるのかと思いまして、笑

久しぶりに少し長いブログになりそうです。

 

栃木県矢板市の北部、長井にある寺山観音寺様より、ご依頼を受け作品「遍照」をご奉納、昨日とても立派な石碑となってお披露目されました。




書の制作を、僭越ながらご住職よりご指名いただき、担当させていただきました。


石碑・彫刻の担当は佐藤石材様(矢板市中)

 



昨年の暮れごろだったか、ご住職から初めてお電話を頂き、お話を頂戴しました。

境内内に石碑を建てたいという旨、その際に、なんと書きますか?とお伺いしたところ、

「ヘンジョウでお願いしたい」と仰いました。「返上?ヘンジョウ…???」と思って天井を見上げていると笑 住職は「空海の…」と仰る。「ああ…」と思い驚きました。

 

「遍照」

 

今年は空海(弘法大師)ご誕生1250年祭という年です。その慶讃事業として今回の石碑の建立が行われました。

真言宗の開祖として知られ、西暦774年に讃岐国、現在の香川県に生まれた空海。804年、平安時代初期に遣唐使として入唐、現在の中国、西安市にある青龍寺で恵果和尚と出会います。(私も2015年に青龍寺を観光で訪れています。)本来、僧はそこで10~20年の修行を積むはずが、空海はそれをわずか半年で済ませ、恵果から仏の位に達した儀式「灌頂」を承けます。恵果は、空海を初めて見たとき、「あなたをお待ちしておりました。遅かったですね」と言ったと伝わっています。恵果は空海の瞳にその仏たる真髄を見抜き、外国人であり若い一僧侶である空海に自分の全てを託そうとしました。

その灌頂の儀式の後、阿闍梨の称号を与えられた空海に、恵果和尚が与えた法号が「遍照金剛」です。「遍照」とは大日如来を指す言葉でもあり、金剛はその最上位たる最も優れた者 の意味。恵果は空海が大日如来の化身(生まれ変わり)であることを悟り、その名前を授けました。遍照は空海の別名なのですね。




 


「遍照」(遍く照らす)一切衆生に遍く光明を照らす

まさに空と海、空海に相応しい名前で、空海も生前からその名を好んで使われました。

 

空海の名前を書き、それを石碑に…

空海は書を習ううえでも最高の学書の対象であり、もっとも尊敬してやまないもの。

制作は緊張の連続でした。

 

 

やはり気にしたのは「遍照」という風信帖の第二第三通にある部分。



風信帖第二通



風信帖第三通


石碑であり、彫ることも考えると、作品 という感じにはしてはいけないし、読めないわけにもいかない。ある程度は現代人にも読めないと、愉しみ、親しみを感じてはもらえません。

そうかと言って楷書ではあまりにも趣に欠けます。


慣れない横書き、神社の雰囲気も考え何度か足を運び、試行錯誤ありました。


「遍」の一画目の点や左払い、シンニョウ、それと左払いがシンニョウとぶつかり力点を集約させることなどは、空海の自筆風信帖を参考に。

シンニョウと、レッカは草体では一本の線、変化を持たせなければ単調になります。

その変化も、空海の風信帖を参考にしました。

しかしあくまで空海は縦書きの中でこの自筆を残しているのであり、横書きではまた構成も動きも異なります。



母方の菩提寺でもあり、祖父母もこちらのお寺が持つお墓で眠っています。そのようなご縁を感じ、できるだけ敬虔な気持ちで、沈着に筆をとり、しかし遍く照らす光を考えると、大きな動きを内在させたいと考えました。


「筆力沈着にして飛動の意あり」

になればと。

 

光は、円いのだろうなと、感じるようになり、作品中央部に向けてアーチを描く構成に構えています。




「遍」シンニョウの厚く渋る線と、「照」レッカの大きく長くうねる線に、対照的な光を感じていただければ。

 

私なりの空海へのリスペクトと、空海筆のオマージュ作品と思っていただけると嬉しいです。

ご依頼あり30年ぶりぐらいに訪ねたお寺でした。


境内は大変風格があります。幼少期に祖父母と行った以来の場所でした。





最後に彫り、佐藤石材店さん




大変、素晴らしく彫ってくださいました!もちろん現代は機械彫りですが、かなり細かいところも表現してくださっています。石はインドの黒御影石だそうです。ピカピカの鏡のような石面に、さらに光の表現を感じていただけるものと思います。言うまでもなくここに立てば自分自身の姿と遍照が重なります。


沈着した筆の部分は深く彫り、軽妙な部分は浅く彫ってあります。また、なぜか淡墨のように書き順がわかるかのような彫り方にみえることも面白いものです。

印部分も朱くしてくれて、ワンポイントが美しさを引き立たせています。











祖母が

「君が代」じゃないけど、「苔のむすまで」そこにあるから、風景と馴染むようになる…と。

そうですね、苔のむすまで…

とても嬉しいことです。

幾年先までも、残りますように。


 

与楽印寺山観音寺(矢板市長井1875)ぜひ訪れてください。