200枚を超えて制作日数は(やれない日もあるので)一ヶ月をこえた。やっと先日、表具屋へ。
一作で15万円をこえる制作費になる。
なんとか終えたけど、もちろんこれで終わりじゃない。
淡墨から始まり100枚をこえたところで素材を変えサイズを変え、濃墨に切り替え、、。
さて、
「私も大字を習いたいんです!表現したいんです!」
という趣旨のメールを、先日いただきました。
そのために必要なことは。
まず土台に、
「いい筆を使うこと」
「いい墨を使うこと」
「いい紙を使うこと」
です。
かつ、
「いい師をみつけること」
「いい環境を整えること」
「(最低限)10や20の古典を学ぶこと」
です。
ここまでが、スタートラインに立つことの最低条件と思います。
もちろん筆墨紙は何種類もあるべきです。
そこから、もてる限りの時間と資金をかけて、一作のために、みえない数百枚をつくり、年間にそれを10数回繰り返し、何年ものサイクルを経て、少し発展するか、しないか、です。
書、本気でやるならそれはほとんどが古典や先師を なぞる だけの行為であり、表現はその先に、できるかできないか、です。
私自身まだまだ下積みであり、わからないことばかりです。
簡単に一枚を書き、簡単に写真でアップでき、お手軽書道が盛んな時代になってきました。
「書道」とググると、現代のインスタントな“書道”が集約されているかのようです。
個性的に見えるもののほとんどはルールがないために没個性。 点が円だったり最後異常にのばしてみたり。文字を組み合わせて文字らしきものを作ってみたり。
それらが悪いことはないです、一種の安心感、一種のデザイン性、視覚的面白み、または、趣味として書くことの楽しさ。それらを否定はしません。
でも、(歴史的、文化・芸術的)書道と、混同されては困ります。
たくさんの先人たちが磨き上げてきた書は、いま大変な危機にあると感じます。
もしかすると、書道の道を歩むことは大変です。
相当な資金と時間をかけ、いつ出るかもわからない結果を待ち、ほぼ売れもしない作品(他人からするとごみ?)をつくり、それでもなお突き抜けるだけの精神力が必要です。
書を、心底から愛せる者のみが作品を作り出すことができます。
ここまでできて、人並みかな。
あとその先に進める人は、天賦の才 。
かと思います。