旅の掉尾を飾ったのは

赤村でのキャンプ。


「赤村といえば西川峰子の故郷じゃない⁉️

"電気もない村から来た"という謳い文句に

お母さんが『福岡がそんな田舎と誤解される❗️』としきりに怒っていたね。」

とは弟の言です。



その赤村に

よく拓かれたキャンプ場はありました。


一番近い都市は田川、

必然的に駐車場には筑豊ナンバーと北九州ナンバーの車が並んでいました。







到着するや躊躇いもなく温泉♨️へ。


それと聞かされておらず

備えもない私はドギマギしつつ身一つで温泉へ。


タオルは借りることができましたが







石鹸も着替えも何も持たないし

たくさんのおばちゃんやおばあさんたちの迫力ボディに圧倒され

なんとなく落ち着かないまま早めに出て




ひんやりとした外廊下で

緑を打つ雨を眺めていると

頭上にはツバメが盛んに行き交って





其処には

巣立ち間近かと思われるツバメたちがいました。



飽きずツバメを目で追っているうちに

風呂上がりの三人がやってきました。



ひと風呂浴びてさっぱりした

七十路のおじいさんたちです。



三人は鹿児島ラ・サールの同期生。


この三年ほど

年に数回のキャンプ(のカタチを借りた飲み会)が恒例とのこと。


酔ってもそのまま泊まれるのが最高❣️

というわけです。


福岡のテレビマンだったTは

幼稚園から中学まで同窓で

数学の塾でも一緒でしたし、


医師のHは中学で同じクラスで

私は記憶がありませんが

実は小学校時代

習字の教室で席を並べていたそうです。

初恋云々はその折のことのようで。


もうひとりの仲間、Uくんとは初対面。

中高ラ・サールで出身は島原とのこと。

元有名新聞の記者でした。


私を紹介する時 Hは

「オレの初恋のひと、Tに取られたけど」

ふざけてよく言うのですが


もちろん"取られて"なんぞいません。


ただHが仙台の大学にいるころ

Tは東京のテレビ局でアルバイトをしていて

とても気の合うイイ男友だちとして

よく一緒にシャンソンやジャズを聴いたり

芝居を見に行っただけです。

テレビ局にはそんなチケットが流通していたのでしょう。



うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ



さて

キャンプという名の飲み会は

まずバーベキューから始まります。




その支度は

コンロなどのしつらえはH、

キッチンでの食材の下拵えはTが担当します。


うさぎ「何か手伝おうか?」には


「いやいやキャンプは男のシゴト、ゆっくりしとって❗️」

の命が飛びました。


仰せのままに酎ハイなど飲んで時を待ちます。





「キャンプにはラフな格好で来て」

との要請でしたから


こんなジャンプスーツ姿で。

連日遊び歩いているわりに肌の調子も上々。




ホテルから出ると雨に加え震えるような肌寒さで

これまで着ることのなかったジャケットが活躍です。


天神から電車で

Tとの待ち合わせ場所の二日市まで参ります。




二日市から赤村までクルマで一時間。

やはり一時間ほどの北九州からやってきたHと

途中のスーパーマーケットで合流。


昼食に四人でうどんを食べ

バーベキューの食材を買っていざ赤村へというわけです。



初対面のUくんとはまだまだお互い人見知り状態。



さて

赤村に夕闇が迫って来ました。




ギリギリ雨に濡れない小さな屋根のあるテラスで

七輪を囲んでバーベキューのスタート❣️


このタイミングでHのベースの先生夫妻が

ビールを携えて加わりました。

ふたり共四十代前半、娘の年代です。


偶然にもこの近くに住んでいるそうで

バーベキュー参加は恒例のようです。


またしてもHが「初恋のひとで…」と私の紹介を始めました。

ふざけた奴です。



前日のフレンチとは格差ありますが

コレはコレでなかなかのものです。



じゃが芋や玉ねぎ、ニンニクはTの畑の産物。



オリーブオイルをかけて焼いたニンニクと舞茸が

絶品でした。


火を囲んでお喋りも弾みます。


三人共通のラ・サール時代の話もたくさん聞きました。


芋泥棒は日常的だったらしく

でも捕まって停学を食らったのはUくんだけ。

Tは逃げて、

でもUくんは共犯者の名を明かさなかった…なんて

いい話じゃありません?


夏休みなどウチに遊びに来る時は

いつも下駄だった彼ら。

「下駄を鳴らして奴が来る♪…」

という歌そのままですが

学校が"靴より衛生的"と下駄を推奨していたそうです。初耳!


私たちの中学は

三井の子たちが成績を押し上げていて

ラ・サールへは9名が進学しました。


合格したけれど鹿児島は遠い、と

久留米大附設に行った子も。

当時は

続く二番手20名ほどが附設高校でしたね。


今は附設高校は共学になり

進学成績はラ・サールを超えましたが

ラ・サールは今も男子校。


私も中学時代は

彼らと同じくらい勉強して

成績も負けていませんでしたから

男子ならその仲間に混じりたかった。

ひとり置いてきぼりの感ありでした。


男の子的要素が多分にある女子なので

男同士のキャンプの仲間に混ぜてもらって

本望です。

50数年とずいぶんと時間はかかりましたが。



母も父も彼らの思い出話の中に蘇りました。


ウチに遊びに来て

玄関が開くとショートパンツ姿のふたり❗️

母と私です。

「いやあ、たまげたよ」


母は私より5センチも背が高くすらりとした脚の

持ち主でした。

彼女は玄関に出る時は普通

ショートパンツにボタン一つで止めるお揃いの巻きスカートで脚を隠していたものですが

彼らには気を許していたのですね。


Hは父と一度だけ話したことがあるそうで

「もっといろいろ話を聞きたかった」と。


またHは弟から

「姉さんの男友だちの中で一番ダサい」

と言われたそうで

まあウチの弟は格別なシャレ男ですから

そうも見えたでしょうね。


Uくんも好きなお酒が入って饒舌になり

新聞記者時代の苦労や面白い経験など語り始めました。


実は彼は5年前に食道癌の手術をして

3ミリより大きな塊は食べられないそうです。

お酒も奥さまにコントロールされていて

キャンプの時ばかりは好きなだけ飲める

とご機嫌。


二つの図書館で二週間にそれぞれ10冊、

それを読むだけの日々…と自嘲気味ですが

お互い本好きということで話も弾みました。


再発の心配な5年をクリアしたのですから

奥さまのフォローで10年20年と平穏な暮らしが続くといいですね。




ほんのいっとき雨が止み

みんなで川まで降りて

蛍を見ました。





椿山荘の蛍を除けば十数年ぶりの蛍でした。

しみじみ嬉しい夜です。



戻って部屋で今度はミニコンサートです。



Hが長年吹いているサックスを先生のベースで

二曲披露。

素人の自己流にしてはよくできました💮


あとはプロのふたりに

まるで流しのようにあれこれリクエストして

懐メロシリーズ?


でもボーカルの彼女の「スワニーワルツ」は素晴らしく

Uは感動してしばらく動けませんでした。




コテッジは

ちゃんとした寝室(ツインルーム)が一つ、

2階のロフトに2人分のお布団、

さらにその上に1人分の寝床があります。












いつもは寝床はジャンケンらしいのですが…


一人また一人と上に上がって行き

必然的に私がベットルームを占有することに。


こういうところ、

彼らはナチュラルなフェミニストですね。



そして朝‼️


雨は勢いがおさまり晴れ間も見えて





でもやはりひんやりした朝。



身繕いをしているうちに

朝ごはんが仕上がりました。


此処ではもっぱら

Tが作る人、Hはご飯をよそう係。






 


私が手を出すスキはなく

もっぱら美味しく食べる人。





そして

なあんにもしないように見えたUくんは

お洗い当番とお掃除当番❣️

洗い物と掃除とバーベキューの後始末から

最後のゴミ捨てまで一手に引き受けて黙々と片付けます。





どうやら三人には

それぞれ暗黙の分担があるらしく

キャンプは終始一貫して

男のシゴトなのでした。


雨の山道を下りHのクルマと別れて

一路福岡空港へ。




「どーしても買いたいものがあるから

フライトの一時間前に着きたい」

との希望通り福岡空港に到着です。


またいつかキャンプに参加したいな。

みんな元気でいてね。


これにてけいあゆの

4泊5日の退屈のない旅は終わりました。