和爾(和珥)の町へと歩く | 神社って面白いやん!つんつらぽっぽと行こう

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豊田城址から山の辺の道に戻り、天理高校の花菖蒲園を左手に見てさらに

北へと進みます。案内板どおりに竹林の道に入ると、左手に石上大塚古墳、

さらに進んで右手にブドウ山にあるウワナリ古墳を越えて、坂道を下って

きます。


ここで、山の辺の道は坂道を下へ降りて名阪国道の下をくぐるのですが、右に

曲がって名阪国道に架かる大きな橋(白川大橋)を渡ります。ここからは、左に

シャープの大きな開発センターと大和平野が、右に天理の坂を登る名阪国道と

奥の山々が望めます。


橋を渡り突き当りを左に曲がり、右手に白川ダムの公園に沿ってどんどん坂を

下って行き、右手に行くと古墳公園から山の辺の道に戻るので、左手に国道

169号のほうへ歩いて行くと、和爾の町が現れます。


古事記の崇神天皇の時代に大毘古命(おおびこのみこと)が越の国(北陸)に

行く時に山代(山城)の幣羅坂(へらざか)で少女が天皇の暗殺をうかがわせる

ような歌を詠んだのです。


日本書紀でも同じ内容で、北陸へ行く大彥命(おおびこのみこと)が和珥坂上

(わにさかのうえ)に着いた時に少女に「天皇さんが若いオネェちゃんと遊んで

いると暗殺されるでぇ~」と詠んだ歌が歌われたのです。


古事記の幣羅坂は京都府木津川市にその地名があり、日本書紀の和珥坂上

の地がこの和爾の町だと言う訳で、ちょっと場所が全然離れすぎていますね。


どちらも崇神天皇の宮があった、三輪山の東にある磯城瑞籬宮(しきのみずかきの

みや)からは北にあるので、北陸へ行く通り道にあたります。



※写真上は、天理高校の花菖蒲園(見頃は、5月末から6月中旬) 2016/06/10
※写真中は、ウワナリ古墳があるぶどう園 2016/06/10
※写真中の下は、白川大橋から名阪国道とシャープを見る 2016/06/10
※写真下は、和珥坂と言われる坂道 2016/06/10
※写真下の下は、和珥坂下伝承地の場所と案内板 2016/06/10