豊日神社を過ぎて、天理教施設の裏山沿いの細い道を歩いていると、三叉路に
出て、左に行くと東海自然歩道迂回路、真っ直ぐに行くと豊田城跡の案内板が
あります。(下の写真)
普通は、東海自然歩道に沿って行くのですが、真っ直ぐ進んでみましょう。
小さな池を左手に見ながら、また三叉路に出たら右手の豊田城址の方に進みます。
写真のように地道で急なので、雨の翌日などは滑りやすく、トレッキングシューズで
行かれるほうが無難です。
休み休み登っていくと「豊田城址」の看板が、、、看板がないと、全くわかりません。
ここが城址?えええぇぇぇ???ただの山林の頂上しか思えませんが、、、???
案内板を読むと、豊田と言うのは豊田氏(全盛期は1443年)と言う奈良の国の
有力な勢力の人の名前で、そのお城ってことです。応仁の乱以降に焼けたとの
ことは、室町時代後期って事ですね。落城は1570年とありますから、まさに
戦国時代末期!
中世の山城に関しては、あまり勉強していないのなんとも言えないのですが、
なんでこんなところにって、感じですね。
でも案内板を見る限り、そこそこの規模を持ったお城だったようです。荒れ果てた
光景を見ていると、なにか虚しさも感じます。
※写真上は、三叉路の案内板 2016/06/10
※写真中は、豊田城址への坂道(500mくらい続く) 2016/06/10
※写真中の下は、頂上の豊田城址(なにもない) 2016/06/10
※写真下は、豊田城址は、なにもないただの山林だった 2016/06/10
※写真下の下は、案内板の豊田城の図 2016/06/10




