ヒトラーなんて怖くない:映画「ブラジルから来た少年」 | 映画探偵室

ヒトラーなんて怖くない:映画「ブラジルから来た少年」

package 19749月のある夕方,銀色の機体に黒をあしらった双発の小型機が一機,サン・パウロのコンゴーニャス空港の補助滑走路に着陸し,速度をおとしながら方向を変えると,格納庫へ滑って行  そこには一台の高級車が待っていた。三人の男が - 1人は白い服を着ていたが - 飛行機を降りて車に乗ると,車は真っ白な高層ビルの立ちならぶサン・パウロの中心街に向かって走り去った。そして二十分ほどしてから,イビランガ街にある御殿づくりの日本料理店<サカイ>の前でとまった。(ハヤカワ文庫「ブラジルから来た少年」,故,小倉多加志氏訳,1982年)

「ローズ・マリーの赤ちゃん」の原作者としても知られるアイラ・レヴィンのサスペンスを映画化したこの「ブラジルから来た少年」は,南米に潜むナチスの残党が恐ろしい陰謀を実行に移した,という恐怖に満ちた物語である。文庫本の後ろには「訳者あとがき」があり,DVDの方の解説は清水 節氏によってなされており,共に優れた批評となっているので,改めて当探偵が解説しても屋上屋をなすごときで時間の浪費にしか過ぎないだろう。小説は正統派のサスペンス,つまり事件と推理の積み重ねという形をとっている。本ブログの読者の方々にも本あるいは映画を直接見ていただくとして,ここでは出版(封切り)から現在までの時の流れが持つ意味について確認しておきたいと思う。

この話は小説の発表当時は1つの空想的なサスペンスに過ぎなかったが,2007年の現在では現実となっているのではあるまいか。もちろん,ナチス残党の陰謀が(小説ではその真実を追究する側に焦点が置かれているが,映画では初めから明かされている)実現してしまった,という訳ではもちろんない。現実となっているというよりは,歯止めが掛かっていないといった方が適切かもしれない。それはつい先ごろオーストラリアで何やら宗教がかった医学博士がクローン人間を成功させた,と話題になったことからも分かる。ネタバレになってしまうので詳しくは語れないが,小説ではこの「クローン人間の作り方」の周到さもサスペンスの大きな複線になっているのである。その1つの例に,小説では前から2/3位まではクローンの元はメンゲレ自身であると推理されているのだ。

また,日本では「子宮を借りた出産」という新たな体外受精による子供の作り方が話題になっている。ある意味で人類の夢であるクローンがやがて何処に行き着くのかは軽々には語れないのである。
老人達 小説では冒頭で紹介したように物語の始まりがブラジルはサン・パウロの日本料理店なのに,映画ではパラグアイの潜伏ナチス将校の館になっている。ここだけが当探偵にとっては不満であった。海外の映画ファンにはさして重要ではないかも知れないが,日本人の皆様に,ブラジルがかつて枢軸国側に立っていた国であり,終戦時にはブラジル移民である現地日本人社会に「勝ち組」と「負け組み」という争いが顕在化した哀しい歴史があること,を知って欲しいからである。フランクリン・
J・シャフナーが日本人を考慮したから,だとは思わない。しかし,撮影は原作での国であるブラジルで行われず,ポルトガルで行われたことを考えれば,ある意味「戦争はまだ終わっていない」と言えるのかもしれない。映画中名前の出てくるアイヒマンも南米潜伏中を発見されたのだったから。
Alive
タケシではないが「本当は恐ろしい映画」なのかも知れない。しかし,映画は明らかに希望というかユーモアを塗(まぶ)して制作されている。その証拠が俳優陣である。正義と誠実の男が最も似合うはずのグレゴリー・ペックがヒゲまではやして狂信者メンゲレ博士を演じている。そして彼を追い詰めるリーバーマンを演じるのが「マラソンマン」で旧ナチスの将校を演じたローレンス・オリヴィエである。そしてメンゲレ博士に忠誠を誓う旧ナチスの将校役がジェームス・メイスンである。そして,かつてリーバーマンによって告発されアメリカで拘束されている元収容所の女看守長がリリー・パーマーである(コノヒトが何故か色っぽく思えて探偵は困った)。このような名優陣が,なんと老人特有の妄執むきだしに対立しあう構図となっている。タイトル・バック(最後のエンド・ロールも含め)に軽快なシュトラウスのウィンナ・ワルツが流れることもこれにひと役かっている。

 

ならば結局救いは若者の手に,となるかと思いきや,結論はやはり甘いものではない。ここは原作でも同様であり,ナチスの迫害を実際に受けてきたユダヤ人であるリーバーマンが「子供たちに罪はない」とするのに対し,現代のユダヤ人青年は「結果を考えるとヒトラーの子供は殺すべきだ」という側に立つ。リストはリーバーマンの手で燃やされてしまうのだが。そして残ったヒトラーの子供が果たして遺伝学上の父親どおりになるのか,ならないのか?それはぼかされている。ただし,小説ではそのクローン・ヒトラーは映画監督に興味を持っているのに対し,映画では写真家にされているが。

 撮影は「太陽がいっぱい」,「死刑台のエレベータ」や「仁義」,「サムライ」などのフィルムノワール等,数々の名作を担当したフランスの巨匠カメラマン,アンリ・ドカエ,音楽は「パピヨン」でもシャフナーに協力したジェリー・ゴールドスミスである。