Under the Bald Eagle - 映画「コンドル」の後書き(2)
「The Day After Roswell」(ロズウェル事件以後」,フィリップ・J・コルソ著,1997年)という本がある。元陸軍中佐で,国防総省内の研究開発部に勤務していた(ことになっている)人が退役後に遺言のような形で書いた本である (「ペンタゴンの陰謀」として中村三千恵氏の抄訳が二見書房から出版されたが,現在絶版。当探偵は英原文のペーパーブックを所有している)。いずれ「陰謀のセオリー」(メル・ギブソン,ジュリア・ロバーツ。監督はリチャード・ドナー )という映画のレビューでもこの本のことを取り上げる積もりでいるが,この本が出版されたのは9.11事件の前であった。多くの情報機関関係者によれば,情報には確実性が薄いとのことだが,私は別の意味で,この本を読んだことが今回の「コンドル」の感想を書くきっかけになった。それは,OSSからCIA,そして現在それに代わり君臨すると言われているNSA(国務省国家安全保障局)が戦後一貫して推し進めてきた「情報戦」とはどのようなものかが「問わず語り」にこの本に書かれているからである。
それは一括りにすれば「情報操作」ということで,「敵」だけでなく一般国民も,そして「自陣」をも操作する,ということに尽きる。その技術はコンピュータの進歩と共に(ハードウェアというよりはソフトウェアの面で特に)飛躍的に発展した。そして今2007年,その又先の未来,つまりこれは非常に危険な諸刃の刃である,という事実が見えて来つつある。私は仕事柄,情報処理関係の翻訳をすることがあるが,ある文書に載っていた米国の戦略を垣間見て,なるほどそうかと実感した。これを推し進めていくと「誰も(自分も敵もという意味)正しい情報を持ったものがいなくなり,また国民全員がマスコミを含め誤誘導情報に汚染される」のだ。最先端の戦略では,暗号の使用や,情報かく乱さえできるだけ控えるように,という指示が出ている。最先端情報技術をむしろ「使うな」という指示が出ているのだ。もはや自分たちが苦労して入手する情報さえ,自分たち自身が撒いた誤誘導情報,その二次情報,三次情報かもしれないから。いってみれば「陰謀だらけ」なのである。私たちの今いる世界はこんな世界であり,アメリカ合衆国のみならず,日本でも情報操作は陰に陽に日々行われている。映画に出てきたニューヨーク・タイムズはシドニー・ポラックの側,つまりリベラルと言われているが,それすら例外ではないだろう。そしてそのような私たちの情報源にはTVや映画さえ含まれることに慄然とせざるを得ない。私たち(当然,私も含め)が持っている情報はすべて何らかの操作の結果かも知れないのだ。際限がないので細かな事実・事件はここでは取り上げない。しかし,ヒギンズの言葉を思い出して欲しい。「今じゃない。その時だ。不足した時だ。暖房がないから部屋の中は寒い。車は動かない。今まで知らなかった飢えを経験する。答えは簡単さ。『手に入れろ』と我々にいうに決まっている」。
こうは決して言わない,という覚悟がある国民がいるだろうか。映画の中のCIAが加害者であるのは無論だが,シドニー・ポラックは,それを強いている国民も被害者ではなく加害者なのだ,と言っている。誰もが無傷,無垢であることはできないのだ。
映画コンドルではCIAの要員は殆どが鳥の名前をコード・ネームとしている。この映画はイラン・コントラ事件やケネディ暗殺事件,湾岸戦争,そして恐らく9.11などにおいても果たしたであろうCIAの「工作」がどんなものだったのかを想像させる。いや,想像を超えるものと想像される。ひょっとすると9.11で摩天楼に突っ込むこともターナーの読んだ筋書きに入っていたのではないか,とさえ疑われる。シドニー・ポラックは映画が(あるいは映画のレベルが)事実であると言っているのではなく,それ以上であることを全員が(探偵も含め)覚悟せよ,と言っているのである。このブログではことさら取り上げなかったが,ヒギンズが「敵」といっている側で同じことやっている,というのも他方では事実ではあろう。イラン・コントラ事件の際の副大統領はパパ・ブッシュであり,パパ・ブッシュは歴代CIA長官の1人である。そしてビン・ラーディンがもともとCIAの援助を受けていたことは様々な資料でも実証されている… 結局何が正しいかはおそらく「誰も」知らないのだ。