El Condor Pasa - 映画「コンドル」の後書き | 映画探偵室

El Condor Pasa - 映画「コンドル」の後書き

エピローグ1:アメリカの市民,アメリカの男と女,そしてアメリカという超国家


「追憶」:バーバラストレイサンド,1973年)
追憶 シドニー・ポラックは「男と女」のうち「男」をロバート・レッドフォーッドにし,それぞれの女優と組ませたシチュエーションで,「追憶」(1973年)に引き続いてこの映画「コンドルの3日間」を作り,そして約10年後の1985年に「愛と哀しみの果て」を作ったことになる。ラストの2つの映画の間には10年の空白があることになるが,その間にシドニー・ポラックは様々なバッシングを受けたと言われている。それ故か「愛と哀しみの果て」の主人公はアメリカ人ではなく,話は完全にラブ・ストーリーになっている。この映画の良さはやはりロバート・レッドフォーッドの熱烈なファンである塩野七生さんのエッセーに描かれているので,ここではあまり触れない。一言で言ってしまえば,個人という単位と,男と女の関係,そしてその関係が巨大な力の前(最後の「愛と哀しみの果て」では「運命」ということになるだろうか)でどうなっていくのか?という物語である。


映画「コンドル」では男と女のどちらも,二人でこの先歩んでいければ,できればそうしたいと願ったはずだが,「敵」の危険さ,巨大さを考えれば,心を偽ってでも相手の安全を願うことで,結局は別れて行く。しかし,と探偵は思うのだ。ラストシーンではターナーは一応無事だった。彼の戦い方は今後いわゆる「平和運動」に変わっていくだろう。一方,キャシーの相手はもともとバカな男のようだったので,遅かれ早かれキャシーはターナーの元に戻るだろう。すると,物語は前の映画「追憶」に戻ることになるのである。

シドニー・ポラックになり代わって言えば「どのような力であろうと,男女の愛に勝るものなく,またそうあるべきだ」ということになる。そのように出逢った女のことをワタシは「運命の女」と呼ぶことにしている。だから,男には必ず運命の女がいるはずであり,それが時間が経つと通常は「オバはん」になるだけの話なのだ。

                                                            

                        (愛と哀しみの果て:メリルストリープ,1985年)                                                             
Out of africa

 アメリカには2つの顔がある。個人レベルでは良きアメリカ合衆国市民という面であり,政治・経済のレベルではアメリカという超国家である。なぜワタシが超国家というかは,第二次世界大戦後の体制を決定し,国連を創設する際のアメリカの意図(ヤルタ会談,ポツダム会談等)が,自国の「合衆国」という考えを世界に拡大して,「他の国家群を指導する国家」に自分がなることにあったからである。しかし,誰がそんなことを望んだのか。そして,それを遂行することは何を意味するか,そして遂行していけばどうなるか,を象徴する1つの映画が,この先当探偵室で取り上げる予定の「陰謀のセオリー」である。ここに到ると,男女の愛さえも陰謀にまみれていく。そしてこのような風景はかつて何度も見たことがある。(ジョージ・オーウェルの「1984年」:リチャード・バートン)や「寒い国から帰ったスパイ:リチャード・バートン,クレア・ブルーム,1965年)など,など。この映画は男と女,国家,そして「情報」(言葉)の意味を問いかける映画の1つである。