そろそろ、特定できる話になるので少しずつ名前等を変えて行きます。
自分自身のスピード違反も取り締まってくれた、税金ドロボウのバビロンにお礼を言い。
サプライズで取っていた慶野松原にあるピザの美味しいホテルに宿泊(かなりよかったです)
この先どうなるか全くわからない気持ちとワクワクドキドキが相まって鼻血出そうになっていました。
そして、「結婚しよーや」と嫁に言ったら「プロポーズされた…♥」という感じで喜んでいた。
というのも、二人は結婚2回目、一回目で悲惨な目にあい恋愛に辟易してましたが、出会いました!!!
京都の伏見区にあるカラオケスナックで客で来ていたところをナンパしました〜♥
とりあえず淡路島を旅立ち昼前には直島に到着する予定で髙松港に向かいました。
直島に行く方法は2つあって、髙松からと岡山県玉野市の名前忘れた港から。
岡山県の港の方がすぐ直島につきます。
初めての田舎移住、船の上でいろんな島を眺めていると、不安と期待からか、妻の目に涙が見えました。
悲しい気持ちじゃない涙に私も少し情緒を取られました。
まあまあの都会から離島に人手が足りてない建設会社に就職。
大歓迎されるんちゃう?
もしかしたら港で地元のブラスバンド部が「〇〇さんようこそ!!」みたいな横断幕もって準備してるかも?
とか思いながら港につくと、何もありませんでした(当たり前なんですけど)
そしてそこから、海まで玄関から3秒の家をあてがってもらいそこに住みました。
家のプレハブを観光バブルに乗じて人が宿泊できるように無理矢理改装した5畳プラスキッチン風呂トイレという二人ではかなり狭い物件だったのですが、他の物件も都会並の家賃だったので、65000円(光熱費込)のこの物件を選びました。
仕事ではもっと田舎からでてきた若い二人と島のおじいちゃん3人と大学卒業と同時に専務取締役になった現社長で仕事をしていました。
妻は近くの魚を養殖しているレストランで働きました。
順調!
いい感じ!
と思ったいのは夏だけでした。
冬になると目に見えて観光客も減り、少し静かになりました。私の休日に妻が仕事の日があり、力になれればと養殖のためにつかっていた部品の溶接を手伝い(無給)、そこのレストランでごはんをお呼ばれしたので、食べにいきました!
店を出るとき1200円払いなさいと言われ、二度と手伝いに行かなくなり、そうこうしているうちに、妻の給料日になりました。
!!!!!
求人にのっていた時給とは完全に違っていました。
一緒に働いたいた人が言うには「これから島で暮らしていくなら、それぐらいは我慢せなあかん」と言われ「おっさん!お前アホやろ?」と言い、次の移住に意識がむきました。
それと同時ぐらいに毎月の光熱費のデータをパソコンで作ったボンボン社長がオーナーの代わりに家賃値上げ交渉をしてきました。
移住者でゲストハウス経営されてる方にも、いろいろと噂を聞いていましたが、本当に来るとは思っていませんでした、
当時、移住して9ヶ月でしたが、毎日仕事に行き、休みは船で買い出しにという生活になんの生産性もない事に気付きました。
妻と本当にずっとここにいたいか?
とか
いろいろ話すうちに妻も同じ事を考えてる事がわかりました。
そうなったら善は急げ!!
島には飲める水が水道水しかなくフッ素嫌いの二人にはどうしてもマッチしませんでした!
次は綺麗な水があるところ!
山や!!
そしてバイオマスに力を入れている西粟倉村というところに、前と同じ先方で移住しました。
直島に未練は無いかと言うとそうではなく、会社に残って社長に嫌気がさしながらも、事あるごとに八つ当たりの材料にされていたのも我慢して働いていた二人の若者が気になっていましたが。その後も連絡を取れる関係だったので一応は安心でした。
西粟倉村はほぼ山林で真ん中に吉野川が流れていました。
そこでは、自分の食べると野菜は育てる!という元気なおじいちゃん、おばあちゃんが多数住んでおり、景色も綺麗な凄くいいところでした。
近くの建設会社で働きながら、休みは綺麗な景色を見ながら借りた畑で野菜を作り始めたり、少し精神性に富む生活を送れました。
そして、近くのおばあちゃんと話をよくするようになりました。
おばあちゃんが言うには役場にコンサルタントが入ってから村は悪くなった、コンサルタントが村の施設、土地をつかって好き勝手な事業を始め村の予算を食いつぶしている等
表からは全く見えない世界があることを知った
そこから、俺と嫁の意識は変わり
そうや!村のためになることをしよう!となりました
続く