20代、北欧が大好きで、家具も配色も惹かれて、一度行こうと調べた。当時直行便の飛行機だけで32万円だったような🤔

20代後半、32万円を持っていなかったワケじゃない。親に渡したいお金があって、コツコツそれを貯めていた。

親はそんなこと期待もしてない。目標額が貯まって渡した時、母は大いに喜び、父は申し訳なさそうな、悲しい顔をして

「自分で使ったらいいんだよ」と言ったが、これは私の想いだからと渡した。


北欧に高いから(見知らぬ世界は怖いから)と行かなかった自分が、その後ずっと続く事になった。


コレがしたい  けどお金が足りない

アレが欲しい  けどお金が足りない


足りないのでは無く、別の物に使ってしまっているだけ。貯めてる途中で、目先のものに使ってしまう。なのに、お金の不足感。


「結果」の見えないもの、「まとまったお金」が必要なもの、恐怖心が勝つものは、やりたい事をやらなかったワタシ😓

(結果が見える脱毛は行ったwww)

なのに、年々アパレルに注ぎ込むお金は増えていった😮‍💨人生に残ったものは大量の服👔だけ


当時の私の「欲しい!」を体験させていたつもりだったけど、心の虚無感や、他人の評価、理想の自分とのギャップを埋めようとしてただけで、きっと本当にしたかった事を、理由をつけて勝手に諦めて、

「簡単に手に入る」ものだけにしか

手を伸ばさなかったんじゃないのかな?

恐れや不安を持たなくて良いもの。


20代から毎月多額に注ぎ込んでいた、アパレルへの興味がやっとこさ薄れてきて、見送ることが増えた。本当に欲しいのかな?

こんなに持ってるのに、居るのかな?

電車代と時間を節約してオンラインで買ってはいるけど、しっくりこなくて返品ばかり💦

(色々あったけど、オンラインシステムの有り難さ)


恐れ(もし出来なかったら…)や

不安(「無駄」になってしまう…)

に囚われずに済む、

「簡単に手に入るもの」

「金額が低く確実に手に届くもの」

「直ぐ目先にあるもの。」

「時間と努力が要らないもの。」

「結果が直ぐに見えるもの」

それって本当に欲しいものだったのか……

そこから人生に得たのは何だったのか?


お洋服が「本当に」大好きな人は、インフルエンサーになったり、お店を持ったりしてる。

だけどそれも「私には出来ない」「やっても無駄」だと諦めていた。「この人は可愛いから」「可愛い人は皆憧れるから。」

容姿の比較ばかりして、自分がそんな事したら、恥さらしだ。メイクを頑張っても、結局、ニキビでボコボコの肌は、ファンデでは隠しきれずに、メイクも挑戦して諦めた。

「無駄な」(お金がかかる)

努力したくないだけだった。ただの逃げ。


今は、そんな肌も愛おしくて大切に思う。

当時キレイになりたくて、もがいた私の「勲章🎖️」


そんな諦め癖のある私が、よちよち歩きで、お金と時間を費やしてでも手に入れたいもの


「あるがままの幸せな自分」


既に10年を費やして、お金も費やして、まだ失敗しながら挑んでいる💦

気づいたら、最近、楽しめていなかった😩


簡単に手に入るものではなく、結果が見えなくても、コツコツ楽しみながら、挫折しながら、掴んでいくことが、結果的に「人生を豊かなもの」に出来るんだと、人生折り返し地点で、人との比較から学んだ。寿命からすれば、


まだ人生、半分ある。

まだ終ってない。