なんて歌があったが18年程前、社員になった時にポケベルを持たされた。
それから2年ほど?すると電話番号しか表示されなかった液晶に文字が表示できるようになり、高校生がこぞって持ちはじめた。
女子高生はみんな公衆電話から早打ちをし、文字を送り待ち合わせなんかしていた。
ポケベルは料金が安くなり飽和し始めたころ、携帯が小型化し法人なら払えるくらいの料金になった。
そんなころ当時の社長から持たされたのが携帯。

(写真は嫁の98年製P206)
DOCOMOのP201?だったかな?
ポケベルの通話できる版みたいなもので電話帖も数十件しかなく漢字も入力出来なかった。
電池もちも悪く、『L電池』というラクダのこぶみたいな不格好な電池を付けていた。
それでも時と場所を選ばず連絡取れる事に便利な世の中になったと感動したものだ。
(居留守が使えないのは不便だったけど 笑)