配当政策について
本日の日経朝刊「大機小機」において「配当政策は本当に重要か」というコラムが掲載された。
その内容は、昨今の増配・復配企業の増加に触れ、ファイナンスの古典的命題において、企業価値を決めるのは、事業活動への投資とそこから得られる将来の利益であり、配当政策は無関係である。
なのに投資家が増配企業を買ってしまうのは、「将来の利益よりも手元の現金」か、「経営者の不信」が原因かもしれないとして、そのような理由であればその会社の株を買わなければよいという趣旨の内容であった。
この論評においてよく分からないのは、昨今の増配・復配がいかにも投資家サイドの過剰な要求でなされているような物言いであるが、増配を決定しているのは経営者サイドであって、投資家が決定しているのではないということだ。
つまり、コラムでは、増配企業に群がる投資家は嘆かわしいような書き方をされているが、投資家サイドから見て、増配を歓迎するのはROI(投資収益率)の観点からも当たり前のことであるし、増配している会社の株を買うなというのは配当政策の考え方や資本市場理論を歪める暴論ともいえよう。
私の意見を言えば、配当政策の考え方は、日本企業においてようやく著についた感じと思っている。確かに、村上ファンドのように、短期的株式取得者が、株主たる地位を乱用して過剰な配当を要求するのは、既存の株主にとってもそのキャッシュフローを活用した機械損失が起こり得ることから、こうした一部のファンドの動きを牽制する考えが必要であるのは良く分かる。
しかし、昨今の増配の動きは、買収防衛策として過剰に反応している経営者サイドから起こっている現象である。特にわが国の場合、横並びの意識が強く、ある同業種、同規模の会社などが増配を決めたということになると何でも無差別に模倣される傾向がある。
こうした物真似をする企業は、魅力が乏しい企業が多いことが特徴で、増配で一時的に人気を集めても、すぐに投資家の興味は離れてしまうだろう。
一般投資家サイドが悪いわけではあるまい。本当のところは、確たる配当政策を持たずに、もしくは投資家にIR的説明責任を果たさずに、横並びの意識として増配を安易に決めてしまう経営者サイドの風潮を深く憂えなければならないのではないだろうか。