11.5 | Kobakenの「努力は必ず報われる!」

Kobakenの「努力は必ず報われる!」

この世で最も美しいものは、無意識の親切(by Kobaken)

11月5日。

この日も、私の中で特別な日に加わるであろう。

空気だけを味わうために、さいたまスーパーアリーナまで、仕事の帰りに立ち寄ったこの日も。

まるで授業参観のように、ネクタイ姿で立ち寄ったことも。

そして、あの子の生写真を買ったことも。



AKB48から、「ノースリーブス」「DiVA」「渡り廊下走り隊7」「Not yet」など、様々なユニットが派生している。まあ、派生ユニットはAKBグループに限ったことではないのだが。

しかし私は、やはり自分のイチオシのメンバーがいるユニットを応援し続けていた。

その名も、「フレンチ・キス」。「親に紹介したい3人組」と形容される正統派アイドルユニットで、柏木由紀・高城亜樹・倉持明日香から構成されていた。この中で倉持が私の推しメンであることは、もう言うまでもない。

この日、このユニットが解散し、5年間の活動に終止符を打った。



2010年9月8日。ゲリラ豪雨の中でデビューを迎えたことは、忘れられない。

青春時代の甘酸っぱい恋を歌った『ずっと 前から』というシングルで、3人はデビューを果たした。

よく、「柏木が雨女だから、デビューの日がこんなに荒れた」と言われるが、「雨女」「晴れ女」に科学的根拠があるとは、私は思えない。もしそのような超人的な力があるのなら、不毛な砂漠に恵みの雨を降らせたいものだ。

だが、フレンチ・キスの節目節目で雨になったのは、どうも不思議だ。何度も言おう。柏木の能力のためではない。天気予報が当たったのだ。


さて、この日、私は大学の書道部の合宿先・房総半島からバスで移動中だった。

高速道路を走る途中、サービスエリアに到着し、トイレに行くために部員が次々と降車する。

私もその中のひとりだったのだが、頭の先から爪先まで濡れた。陸上でこんなに濡れるのかと思うほど、濡れた。地上でおぼれているような感覚に見舞われた。

後年、私は、「あの日の大雨は、柏木さんの超人的能力によるもの」と話したことがある(「雨女」を信じているではないか!)。


9月末の教育実習生絡みの記事で話したが、私は当時、失意の中にいた。

外との接触をあまりしていなかったのだから、フレンチ・キスのデビューイベントがあることなど、知る由もない。

当時の私がAKBに関心を示していなかったというのが、正解か。

歴史に「もし」は禁句だが、もしデビューの日にフレンチ・キスを知って、魅力にどっぷり浸かっていれば、私の傷心を癒してくれたのは、9月に教育実習で母校に帰ってきてくれた後輩(当時の部長)とその仲間たちではなく、明日香ちゃんたちだったかもしれない。


そして3日後、私はその実習生と初めて交流を持ち、連絡先を交換し、さらに将来の見通しも立った。社会復帰への第一歩が成功した。そして、底抜けに明るい後輩たちとのつながりもでき、「いつでも来てくださいね」と歓迎される卒業生になっていた。

私が久々に明るく振舞っていた母校から遠く離れた場所で、フレンチ・キスはイベントに出席。

この日は、明日香ちゃんの21歳の誕生日で、バースデーイベントとなったのだ。

また、このイベントのメインが明日香ちゃんによる始球式(どことどこの対戦かは忘れた)ということで、明日香ちゃんの父親で元プロ野球選手の倉持明さんも出席していた。

以来、明日香ちゃんは頻繁に始球式に登壇し、明さんにも声がかかるようになった。親子始球式という親孝行を果たしたのは、それから3年後だった。

もちろん、AKBを知らず、倉持明日香ちゃんも知らないのだから、往年のプロ野球選手・倉持明さんも知らない。私はそれほど、当時人気を博し始めたアイドルグループに関心がなかったのだ。



私がフレンチ・キスを知ったのは、デビューから1年後、明日香ちゃんを推し始めたのと同時だった。

以来、YouTubeでフレンチ・キスの動画を見ることに夢中になり、彼女たちに魅了されるようになった。

私はどうしても明日香ちゃんばかり見ていたが、3人ともなかなか個性的だった。

柏木さんは、3人の中では最も先輩で、プロ意識が高く、常にアイドルを心がけている。

高城さんは、天然キャラだが、料理をしたり犬の面倒を見たりと、しっかり者。

そして明日香ちゃんは、3人の中では最年長だが、子どものようにメンバーの耳に食らいつき、なかなか離れない。

彼女たちがシングルを発売し、テレビに出るたびに、素顔が明かされていった。



ところが、2012年8月、フレンチ・キスのファンを不安にさせる出来事が起こる。

     高城亜樹  JKT48移籍

ジャカルタ? インドネシアの首都の? ということは、インドネシアに住むことになるのか? それでは、フレンチ・キスの活動はどうなる?

AKBの夢の場所でもあった東京ドームでの公演の最中に、不安がよぎった。

「解散」とはならず、活動は存続していくことになったが、高城がJKT48の活動に精を出し始めたため、フレンチ・キスは活動休止状態だった。

そんな中で私は、教育実習を終えてから初めて母校の文化祭に顔を出した。

仲良くしてくれた生徒との再会だったため、明るく振舞うしかなかった。いや、生徒にこんな話をしても、どうしようもない。



そして、昨年7月に初の冠番組である『フレンチ・キスのキス旅』(テレビ東京系)が放送を開始し、ユニットは活動を再開した。同時に、6th Single『思い出せない花』もリリースすることになったのだが、私はこの曲が最も好きだ。46年前の『白い色は恋人の色』(ベッツィ&クリス)という曲を彷彿とさせる。

この番組は、最初はメンバー3人が海外(初回はシンガポール)へ行き、その後はしばらく、各メンバーが他のメンバーの海外旅行をプロデュースするという形でひとり旅となり、最後にまた3人で旅行に出かけるというもの。

海外でメンバーの素顔が明かされたり、少女のようにはしゃぐ様子が放映されたりと、見ていて飽きない内容だった。

昨年9月に一度最終回を迎えたが、今年7月になって再開し、そして9月に終わったのだが、それが永遠の終わりになるとは・・・。



2015年7月19日。

私は目を覚まし、Yahooニュースをチェックして、目を疑った。

倉持明日香、AKB卒業へ  スポーツキャスター目指す

私の青春時代を彩ってくれた明日香ちゃんが、AKBを卒業する。この時点で、抜け殻になった。

8月17日に秋葉原で卒業公演が行われ、2日後、私は学校行事で、オーストラリアへと旅立った。

フレンチ・キスの解散のニュースに接したのは、オーストラリア滞在中だった。

「明日香ちゃんが、アイドルではなくなる」。あまりにも悲しすぎた。

明るい未来を応援してあげようと、頭ではわかっていたのだが。



その後、失意の中にいた大学3年生の私を救ってくれた後輩と教育実習期間中に再会を果たし、授業を見たり、見てもらったり、書道部の展示の準備を手伝ってもらったり、OB会の幹事を任されたり、時には悩みを交換したり、青春時代にたまにしか会えなかった日々を思い起こしていくうちに、悲しみから立ち直っていた。

しかし、3日前の解散コンサートの模様を見て、また悲しみが襲ってきた。

アリーナの中ではメンバーが、外では私が、涙を流していた。

夜も遅く、帰宅しなければならないというのに、なかなかアリーナの前から、さいたま新都心駅から離れられなかった。




フレンチ・キスには、大変お世話になった。

解散を「新しい未来への第一歩」と前向きにとらえたい。特に明日香ちゃんは、1月に舞台に出ることが決定。女優業を本格的に始めていくのだから、そちらを応援してあげることが、ファンの責務だ。

これから壁に当たった時、3人が輝いていた時代を、そして、輝く3人を応援していた自分自身を思い出しながら、前進していきたい。



私は4年間しか応援できなかったけど、5年間、ありがとうございました!