医療系大学生だけどIBSガス型、嘔吐恐怖症 -2ページ目

医療系大学生だけどIBSガス型、嘔吐恐怖症

医療系大学生だけどガス型。
一念発起して治すために頑張る記録をつづります。
嘔吐恐怖症もあります。

仕事で忙しくて、なかなか書けませんでした。


相変わらずしんどい日々を送っています。

お腹の症状も落ち着かないし、まだ失敗はしていませんけど、

今後失敗するのではないかと恐怖でおびえています。

今後失敗したら、と考えると、恐怖で何もする気になれません。

本当は勉強しなければいけないんですけど・・・・。


今日は久しぶりに暇でしたが、暇だといろんなことを考えてしまいます。

あの人はどうなったんだろうとネットで検索なんかしちゃって、

昔私をいじめていた人が芸能人になってかわいい!なんて言われてたりして、

なんか私とその子の環境に落差がありすぎて笑ってしまいました。


私なんて、気が弱いせいで昔から人にいじめられて、こんな病気になって、人から笑われて、ブスで、

その子は人をいじめても何しても、顔が可愛いから芸能人になれてちやほやされて、当然健康体で、

なんか、一瞬、こいつのSNSに突撃してめちゃくちゃにしてやろうかなと思いました、しませんけど。


楽しいことが全くないわけではありません。

遊びに誘ってくれる友達もいます。

だけど、

私が病気じゃなければお泊まり会とかもできるのに。

シーンと静かな映画館にも行けるのに。

なんでなんでなんで。と泣きわめきたくなります。

ずっとこんなことで苦しんで泣いて死んでいかなくてはならないの。

と考えてしまいます。


たまに昔の友達に会いたくなります。

だけど連絡とったら、「あ、おならしてお腹なりまくってた子じゃん。まだ生きてたんだ」

と思われるので連絡とれません。


私、多分そろそろ死にたいのです。

理不尽な世の中にせめて、こっちから愛想尽かしてこっちからさよならしたいのです。

でも、私は、いまだに惨めにこの人生にすがりついているのです。

もしかしたら病気が良くなるんじゃないか、もしかしたら私が病気が良くなる方法を考え付いて、

ここで発表して、全国のIBS患者から称賛されるんじゃないか、

私が子供を産んでもIBSを引き継がない健康な子どもが生まれるんじゃないか、

そんな馬鹿みたいな奇跡を毎日泣きわめきながら信じているのです。

馬鹿ですよね。わかっています。


頑張っても頑張っても進まない泥の道を歩いてどんどん沈んでいるような毎日です。

こんにちは、お久しぶりです。

タイトルを見ればわかるとおり、この前なんと吐きました。

嘔吐恐怖症なのに。

吐いたのは10数年ぶりです。


おそらく吐く数日前に食べた魚介類が当たったのだと思いますが・・・。

ちゃんと火を通していたのでまさか、というかんじでした。


最初は胃がもたれたようなかんじになって、

胃もたれかーと思って胃薬を飲んだんです。

それでも全然よくならず、だんだん気持ち悪くなってきて・・・。

そうこうしてるうちにお腹がくだってきて、トイレに何回も駆け込んで。


吐き気だけなら動かないようじっとしていれば耐えられるかなと思ったんですが、

下痢のせいでトイレに何回も行かなきゃいけなくて吐き気に耐えるのも限界になってきて。


でも絶対吐きたくなかった。すごく怖かった。

吐いたらどうなっちゃうんだろうって考えるとすごく怖くて怖くて、

袋抱えたら本当に吐いてしまいそうで怖くてそれもできなかった。


それで3時間猛烈な吐き気に耐えてたら、もうさすがに疲れ果てて、

ちょうどトイレにごみ箱にあったので少し抱えてみようかと、

すごい勇気を振り絞って抱えたらすぐ吐きました。

一回じゃ全然吐ききらなくて反射的に三回くらいおえっとなって吐きました。


久しぶりに吐いた感想は、

あぁこれ胃カメラのときと同じだ。と思いました。

私は以前胃を悪くし、細いタイプの胃カメラを飲んだことがありました。

鼻からやるという話だったので承諾したのですが、結局鼻から入らず、口から入れることになりました。

本当に恐怖でしたが、細いタイプだったのでまだましだったのかな、と思います。

胃カメラでは3回ほどおえっとなりました。

その感じは気持ち悪くておえっとなる感じというよりは、ほんとに反射的という感じで、それ自体はあまりしんどいものではありませんでした。


今回吐いたのもそんな感じでした。

ゴミ箱を抱えて口を下に向けたら勝手に反射的におえっとなって吐けました。

私は自力で吐くときは自分で嗚咽したり胃を押したりして吐かなくては吐けないものかと思っていたので、そうしなくても吐けるんだと知ったのは大きな収穫でした。


吐いたあと楽になったのですが、そのあとまただんだん気持ち悪くなってきて、今度はすんなりごみ箱を抱えて吐くことに成功しました。結局二回吐いて楽になりました。


今回で一番の収穫は、最後まで吐かないようにしようと思えば多分吐かないでいられたのに、自分で吐こうと決意して吐けたことです。

まさか自分にこんな勇気があるとは思いませんでした。

まさか自分がこんな行動をとるとは思いませんでした。

多分本当に食中毒が辛すぎて意識が朦朧としてたのもこの行動ができた一つの理由だと思います。


そしてひとつ理解できたのは、かなり重い病気でない限り、つまり胃腸炎など比較的軽い病気の人が気持ち悪い・・・と言い出しても、すぐ吐くわけではなく、結構我慢できるものだということです。

私は車酔いの人や胃腸炎の人が「気持ち悪い」と言い出すと、すぐに吐いてしまうのではないかと思ってびくびくして血の気が引いてしまうこうとがありました。

だけど、大人であればそういった吐き気は比較的我慢できて、大人であれば袋やトイレなど適したところで吐ける、つまり急に吐くことはあまりないのかもしれない、ということです。


私も今回吐き気は強烈なものでしたが、唾をのみこんだり安静にしていれば吐かずにすみました。

だから今度から誰かに気持ち悪いといわれてもあまりびくびくせず、さっと袋など用意できたらいいな・・・。と思いました。


今回の件を通じて、嘔吐はそれほど辛くないし、嘔吐恐怖症は絶対に克服できないものでもないかもしれない。と思いました。

だって今回の事件が起こるまでは、食中毒になっても絶対吐かない、食中毒になるくらいなら死んだほうがましくらいに思ってましたから。

そんな自分が自力で吐けたのですから、他人の嘔吐だって身近で見ても背中をさすれるようになれるかもしれません。

実際はまだ嘔吐恐怖症克服にはほど遠く、今だって吐くのは嫌だし、他人が吐くのなんて絶対嫌ですが・・・。

でも貴重な体験ができました。


このブログを読んでる嘔吐恐怖症の方に少しでも勇気を与えられたらいいなと思って書きました。

昨日よりは落ち着きました。

今日はネットサーフィンをしてて、そこで中島義道さんの記事に行き当たり、はっとさせられたことがあり、色々と考えることがあったので、それを書いてみます。

私は母親を恨んでいます。
なぜなら、私がひねくれ、生きづらい性格になったのは全て母親のせいだからです。
小さい頃から兄弟と比べられあんたは向上心がないとけなされ、料理や運動がやりたいと言っても勉強には関係ないからやるなと言われ、
大学に入ると今度は、私は向上心をもって勉強していたのに勉強ばかりしないで遊べと言われ、運動しないと精神が歪むから運動しろと言われ、
こんな母親に育てられたら誰だって性格が歪みます。
母親は専業主婦なのに子供たちに料理もろくに作らず外食ばかり、外が嫌いだから遊びにも連れてってくれない、人の子供を馬鹿呼ばわり、一度も仕事したことがないくせに父親の金でセレブ気取り、
本当に最低最悪の母親です。

でも、私が母親を恨んでいるということを誰かに話すといつも、
いつまで親のせいにしてるんだ、もう成人しているのに情けない、
という返事しか返ってきませんでした。
だから私はいつしか母親への怨みの気持ちに蓋をしました。
そうだ、母親は私を産んでくれたのだから文句を言ってはいけない、大学まで行かせてくれたのだからむしろ感謝しなければいけない、と。

だけど、本当にそれが正しいのだろうか。
なぜ人を恨んでいることや、殺したいほど憎いことを口に出してはいけないのだろうか、と考えるようになりました。
さらに言わせてもらうと、なぜ親にも恵まれ良い家庭環境を持ちすくすく育った「良い人」達に、私の辛い歪んだ憎しみを否定されなければいけないのかと思うと、腹が立つのです。

人が生きていく中で負の感情を抱くことは当たり前なのに、なぜそれを口に出してはいけないのだろう。
なぜそれを口に出した時点で世間の人々から非難され、否定され、抑圧されなければいけないのだろうかと。

中島先生の記事にこうありました。
人が理由もなく人を愛するのと同様に、理由もなく人を嫌うこともある。
誰かを尊敬するということは、誰かを軽蔑すること。
世間の人々は前者を大切だと声を大にして叫ぶのに、なぜ後者は大切だと言わないのだろう、と。


すごく救われた気分になりました。
私のこの感情は、持ってていいものなんだと。
正の感情があるということは負の感情もあるということはむしろ自然なことなのだと。
だから、自分の今の負の感情に素直になることに決めました。
少なくともこのブログの中だけでは、言いたいことを言わせてください。


私は母親が憎い、殺したいほど憎い、
私がこうなったのは全て母親のせい、
私は悪くない、
私は他人の幸せが大嫌いで他人の不幸が大好き、
facebookで美人な人がころころプロフィール画像を変えて綺麗とか言ってもらってるの見るの吐き気がするほど嫌い、
他人のウエディングドレス姿も他人の赤ちゃんの写真も大嫌いだし見たくない、祝いたくもない、
他人の成功なんてちっとも喜ばしくないし失敗すればいいのにと思う、
私さえ幸せならば他人なんてどんなに苦しい目にあってもどうでもいいと思う、


これが私です。

世間の「良い人」達からしたら、なんてことを言うんだ!最低の人間!と言われるのでしょうね。
でもこれが私なんです。
誰になんて言われようと。
誰にも悪く言われる筋合いはない。
これが私だから。

私にはある目標があって、そのために何年間も努力してきました。

結果も出してきました。


でも最近、その目標が叶わなかったことを知りました。

代わりに、そんな目標なんてどうでもいいとそこそこの努力で頑張ってきた人がその目標を叶えました。


とてもつらかったです。

ここ数日間、そのことで落ち込んでました。

今も落ち込んでいます。

悔しくて眠れません。


結果を出しても、どれだけ努力しても、

偉い人たちに認められなければ意味ないのです。

それがわかっていませんでした。



正負の法則というものがあります。

良いことがあれば悪いことも起きる。

人生長い目でみてプラスマイナスゼロになっているという法則です。

私はこの法則を信じていました。いや、信じるしかありませんでした。

この理不尽な病気と10年以上戦ってきた私には、この病気で苦しんだ分素晴らしいことが私の人生で起こるのだと。

そう信じて、辛くても、死にたくても、歯を食いしばって生きてきました。


でも今はっきりとわかるのは、そんな法則嘘だということです。

理不尽な病気に苦しんだところで私にとって良いことや素敵なことは一切起こりませんでした。

むしろこの病気のせいで捻じ曲がった性格のせいで、普通の人よりもっとひどい人生を歩んでいることは間違いありません。

というか、殺人や悲惨な事件が起こっている昨今、その被害者はそんな不幸を受けていいほどの幸せを体験しているなんてことはあり得ません。

たとえ億万長者でもどんなに美しくても、殺されて当然なんてことはありえません。

こういったことを踏まえれば正負の法則なんて嘘っぱちなのです。

そんな嘘っぱちにすがるほど私は病んでいました。

でも目が醒めました。



この先どう努力しても誰も評価してくれない。誰にも好かれない。

どんなに努力してもこの病気は治らないし死ぬまで恥をかく。

死ぬまで死にたい死にたいと思いながら毎日を生きる。

私の人生はそういうものなんだ、とわかりました。



また失敗してしまいました。

生理中だったってこともあるんですけどね、おならが出そうになって

我慢してたらすごいお腹の音が鳴って・・・


どうしてトイレ行かなかったのかって自分を責めて泣きました。

振り返ればいつもそうです。

テスト中も授業中も早くトイレに行けばいいのに恥ずかしくていかなくて。

それで我慢してたらお腹の音が鳴って。


いつもいつも自分を責めます。

どうしてこうしなかった、ああしなかったって。

トラウマを重ねるたびに思い出します。


ここ数日毎日泣いています。

どうして私だけ。どうして私だけって。


普通に生きたい。友達とごはん食べたり旅行行ったりしたい。

毎日こんなトラウマ思い出して生きていたくない。

ただみんなと同じ生活がしたいだけなのに。

なにも多くは求めていないのに。

どうしてふつうの生活が送れないの。


死ねば、トラウマも思いださずにすむし、

もう頑張ることもないし、

早く死にたいです。

頑張ることに疲れました。


本当は死にたくないです。

病気が治って、新しい人生を始めたいです。


最近思うんです。

これは何かの罰なのかなって。

前世で人殺したとか、その罰がこれなのかなって。

でも、もう10年以上この病気に苦しめられて、青春奪われて、

それでこれ以上どうしたら罪が償えるんでしょう。


私は病気に負けず頑張りました。

死ぬ思いで高校を卒業して、必死で大学通って、アルバイトもして、


私これ以上何したらいいですか?

何すれば許されますか?


泣いても泣いても辛いです。

早く楽になりたいです。