事件といじめ | いじめと日本社会

いじめと日本社会

いじめと日本社会について色々書いてみたい。

事件が起こされるたびに考えることがあります。
事件がおこる、と書かないには理由があります。
いじめというものの目的は何かということも問題です。
絶対に、された方にも、という言葉がついてきますが、
まず、何が原因で、どうしてこうなったか、
必ず、複雑な背景があったり、
全く反対に、ただ単にイライラ解消のために、
だれでもよかった、と言うものも中にあります。

ここに、今度は、強さ、弱さ論まで登場です。
私は、ある話を思い出したのです。

足に障害がある子供さんをお母さんがはげまして、
階段を上がらせていたら、
隣に母親と子供がきて、母親が子供に、
あの子のように、ではなく、元気に上がってみなさい、
と言ったそうで、これを聞いた、先ほどのお母さんも、
子供さんも、唇をかみしめたといいます。

私は、幼い時、病気を改善させる薬の副作用で太ってしまい、
就学期間、まるまる、いじめに遭ってきました。

すれ違いざまの大人でさえ、
唾を吐きかけ、頭に石を投げつける、
こんなことなど、珍しいことではありませんでした。

では、私が何をしたのでしょうか。
病気を治そうとしたのが悪かったのでしょうか。
前述の子供さんも何らかの原因で、
不自由になられたのでしょう。この方が何かしましたか。

自分を高めるのではなく、
自分は自分を甘やかし、弱い心でいるのを、
人を踏みつけることで、強く思っているにすぎません。
優越感、自負心、皆、少なからずもっているでしょう。

しかし、いじめなどしない、させない、許さない、
弱い心に打ち勝つ心をもってこそ、
本当に強いといえるのではないでしょうか。