五月人形ですけど、六月も延長中です。本人の希望なんで、仕方ないですね。まあ、六月半ば、ちょっと満足してくれてから、片付けますわ。



気持ちは解るよ。

一年のうちの一月分しか知らないんだから。五月だけという状況に、うんざりしたんでしょう。最近は、ちょっと機嫌良いみたいです🤣


カズシットの機嫌はメチャクチャ悪いですけど、ブログ書きますね。6月2日の日曜日です。和歌山城郭調査研究会で、手取城に行って来ました。午前中は、公民館みたいな場所の会議室みたいな部屋で勉強会。興味深い話は聞けましたが、座学になると眠くなるカズシット。フリスクを相棒にして乗り切りました(笑) そして、昼からは、実際に手取城址へ。


集合場所で、昼食。おにぎり4個だぜ。いきなり、こんなもん↓が転がっていました。



よく解らんが、戦国時代の物ではないので、今回はスルー。昼食時の椅子に使えそうでしたが、そんな事をして、祟られたら大変なので、やめました🤣


手取城に向かっての山登り。

登山道はしっかりとしている。手取城は人気の城らしく、和歌山城郭調査研究会以外の人も来られていました。カズシットは恥ずかしながら、手取城の名前は、ゲーム『信長の野望』で知りました🤣 いつか、来たいと思っていたんですよね。


早速、堀切が登場。

カズシットは、未だに、すぐに、これを堀切だとは理解出来ないレベルなんですが、



この場所に、それがあっても、不思議ではないよね。だって、戦国を生き抜いた城なんだから。


城郭調査研究会の先生方は、ここ↓を曲輪だと言う。何らかの建物が、ここにあった可能性があると。



当時は木は生えていなかったから、建物も確かにイメージ出来る。そう、城郭調査に必要なのは、想像力なんだよね。想像と言っても、そこに、ちゃんと、根拠がないといけないけどね。何にしても勉強だよ。


これ↓は見上げる感じで撮影した竪堀です。めっちゃ急でした。



手取城は、玉置直和が居城としていて、豊臣秀吉の紀州征伐(カズシット的には、ただの侵略だと思っていますが🤣)の際、直和は、秀吉についてしまったんよね。そして、秀吉と戦うと決めた湯川直春と戦争になったようです。この急な竪堀は、手取城が戦を想定していた事を伝えておりますね。



こちら↑も、同じく急な竪堀。写真は上から見下ろしている感じです。湯川勢は、手取城を包囲したそうだけど、当時は登山道なんか、もちろんないし、大変だっただろうな。


溜池の跡↓です。

今は水はなくて、草が茂っております。



すぐ、近くに城に上がる道があるが、草が多いので通行不能でした。道はしっかりしていたので、草を刈れば、通行可能なんだろうけどね。・・・って、誰が、草刈るねん‼️😂



溜池跡に、自然のユリの花が咲いていました。当時も、こんなに草が茂っていたのなら、兵を伏せておくのに、ちょーどいいかもなあ❤️と、曹操孟徳のような妄想をしているカズシットを、ユリは笑っているようでした。


城マニアがたくさん訪れる城だけに、道の整備はしっかりとされている。ただ、細い道なので、車ではキツイかも知れない。軽トラックが落下した事もあるそうだ。



そんなに人気のある城址なのに、実は、手取城は、日高川町指定の文化財にはなっているものの、県指定や、国指定の文化財にはなっていないんですね。



県指定、国指定の文化財となる事を目指そうと、手取・・会というのが、立ち上がっていますが、なかなか、前途多難なようです。


さてさて、本丸にやって来ました。

手取城の中心部ですね。手取城址は、今までに見て来た城跡の中では、遺構が、メチャクチャ残されているんですよね。



礎石と思われる石も、地中から顔を出していました。その辺は、発掘をしてみないと解らないそうですが。



↑礎石と思われる。



↑こちらも、礎石かも。


そして、丸い石もありました。

丸い石については、川の石になるので、目的があって、こちらに持って来られた石になるんですね。



投石として使われるパターンが多いんですけど、戦闘に用いるには小さいよね。もしかしたら、ここに庭園があったかもね。庭石として使われていた可能性を想像させる。


こちらは、堀になります。

庭園をイメージした事で、一瞬、忘れてしまいそうになりましたが、この城は、戦を想定した城だからね。



本丸をやられちゃったら、城は終わりだから、守りも厳重だったんでしょう。高い場所にあるので、遠くの景色もよく見えます。



まあ、戦国の世ともなれば、景色を楽しんでいるような余裕はあまりないと思いますけどね。


この手取城址の特徴としては、とにかく、遺物が多いんです。瓦や器の破片なんかが、メチャクチャあるんですよ。







とくに、二の丸辺りに、集中していました。器があるって事は、生活の場でもあり、戦のためにだけ使われていた城ではないと証明出来ますよね。それから、に至っては、この城が、元々、寺だったのではないか?と推測出来ます。というのは、天守閣のようなものが作られたのは、織田信長の安土城が初めてで、それ以前は、山城に瓦は、あまり、用いられなかったとされています。



手取城は、本丸よりも、二の丸の方が、僕的には熱かったカナ。ただ、これらの遺物は、持ち帰ってはいけませんよ🤣 毎晩、「返してー、返してー」と声が聞こえるかもよ(笑)


てかさ、歴史的な遺物の中に、こーゆー↓のは要らねーかなと。



もちろん、戦国時代の遺物ではない(笑) 紛らわしい事すんな🤣 まあ、見たら解るけどね。こーゆーのは撮影したらいけないな。つーか、土台の丸石、投石に使ったら、最強だろうな(爆笑)


手取城の見所は、まだまだありますよ。写真では分かりにくいが、左側に土塁があります。



土塁の上を歩いて、通行出来るんです。人工的に作られたものも、歴史の経過と共に、自然と同化しちまうんだろうね。



しっかりとした道になっていました。当時の武将達も、ここを歩いたんだろうなあ。そう、それを想像する事が、城址巡りの楽しみ方ですね。



これ↑は、土塁を下から撮った写真です。手取城には、こうした遺構がたくさん残っています。城マニアにとっては、最高の城跡やね。


続いて向かったのは、東側の曲輪になります。見所の一つである土塁を見に行こうと、斜面を降りる際、杖がポッキリ折れてしまいました。残念ながら、土塁の見学を諦め、上から、説明だけを聞いていました😭



足元に、キノコ↑を発見。ヒイロタケ。だが、今回は、キノコ観察会ではないぞ。キノコ目ぢゃないのに、見つかってしまうヒイロタケでした。



この木↑には、釘が打ち込まれているんですけど? 呪詛か? 今回はオカルトの日ぢゃないぞ。触れてしまったやんけ😭


東側の曲輪でも遺物がたくさん見つかりました。この辺りも、生活の場だったんだろうか?



戦のない時は、酒を酌み交わしたりしたんだろうな。戦国の城の中に時々見られる、平和な時間の痕跡やね。


珍しく、まあまあ、平らな堀切もありました。堀切は、真横から撮影しないと、本当に分かりにくいよね。写真になったらね。でも、現場では、はっきり見えますよ。



堀切なのか、自然に出来た地形なのか、まだまだ、見分ける力は、僕には、ありませんが🤣


向かったのは、狼煙台です。

手取城の見所の一つですね。盛り上がった部分↓に、櫓のようなものがあった事が想像されます。



この辺りには、遺物がほとんど見当たらない。見張り役の兵が数人ばかりいただけで、櫓も、簡易なものだったんだろう。



狼煙台に上がってみると、連絡先とされていた、山野城があったとされる山が見える。とか言われても、もちろん、僕が知るはずもなく、ちゃんと教えてもらいました。



この赤い矢印の山に、山野城があったとされています。山野城は、手取城の支城であるとされています。



こーゆーの↑を見ると、常に、敵襲に備えていた事が解りますよね。見張り役の兵は、交代制だったのかな? それとも、下っ端が、毎回、櫓で寝泊まりしていたんだろうか? 想像は無限に広がります。


手取城で、最後に訪れたのは、本来ならば、最初に訪れるはずの虎口です。



つまり、ここが、城の入り口となる。

溜池跡のある場所から、草の茂った道を通ると、ここに出るという事だ。



石積みも確認出来る。これ↑は、上から撮影している。草を刈り取れば、石積みの壁が見えるのかも知れない。



こちら↑にも、石積みが確認出来る。溜池跡に生えた草を全部刈ったら、石積みに固められた勇壮な城跡が姿を見せるのカナ?とか、想像したくなりますよね(笑)


虎口付近でも、器の破片が見つかりました。本当に、こーゆー遺物が多数あるよね。資料としての価値は、ちょっと解りませんが、破片という形ではあっても、戦国の人々が、実際に使っていたものを見ると、歴史好きとしては、すごく興奮します❤️



どんな人が、何を思って使っていたんだろうか?とか、その人の容姿とか、声とか、家族の事とか、色々と想像してしまいます。興味ない人が見ても、ゴミでしかない破片だけど、確かに、ここで、人が生きていた証なんだよね。そう考えると、ゴミには見えて来ないでしょう?


そして、カズシット、発見しましたよ。まあ、城郭調査研究会のメンバーからすれば、別に珍しい物でもないんだろうけど、投石ですよ。



本丸に落ちていた丸石とは違って、大きさからして、投石用だと解ります。ここでは戦があったから、使われた可能性大。包囲していた敵から投げ込まれたのか、籠城する際に、大量に運んで来たうちの一つなのか、直撃して、誰かの命を奪ったものなのかは、解りません。持ってみたら、何となく、重みを感じましたね。


手取城を居城としていた玉置直和を、アプリを用いて作ってみました。頭ツルツルやけど、この人ね、出家しちゃったんです。



秀吉側について、義父の湯川直春と戦ったり、頑張ってたんですけど、秀吉が紀州平定を終えると、所領を減らされてしまったようで、この事に、不満を持ち、出家してしまうんですね。ちなみに、玉置直和の木像は、カカシに使われていた事もあるとか。かわいそうな人やなあ。後を継いだ息子の永直は、関ヶ原で、豊臣方につき、敗戦。玉置氏は、改易となってしまいます。大坂の陣においても、やはり、豊臣方につき、紀州一揆で暗躍。豊臣氏が滅んでからは、和歌山にやって来た徳川頼宣に仕えたそうです。


それでは、本日の一曲です。 



僕ね、玉置直和の爪を見た事がありますよ。カカシにされていた木像の中に、納められていたそうです。綺麗に切られていたけど、戦国時代に爪切りとか、あったのかな?(笑)



歴史って、面白いね。

また、和歌山城郭調査研究会の見学会に参加させていただきますね。杖を修理しねーとな。多分、僕の使い方が良くないんだろう🤣