砂鉄の砂浜 / 古代たたら製鉄の痕跡@島根県松江市 |   + Mother Lake +

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カメラ photo by NIKON D40


古代出雲といえば青銅器文化、銅剣358本が出土した荒神谷遺跡や39口の銅鐸が出土した加茂岩倉遺跡はあ

まりにも有名です。では....鉄は??
当然のことながら青銅器よりも鉄器の方が硬く、強度にも優れております。
いや....鉄の文化もあるのですよ。(長文かつ古代史的切り口、しかもマニアックにお送りします。笑)


荒神谷遺跡の記事 → ★★★

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出雲神話ではもっとも有名なヤマタノオロチ神話。
当時は日本海に注いでいた、氾濫を繰り返す斐伊川(ヤマタノオロチ)を鉄を使用する集団が制したという故事を

神話になぞらえたとされている説が有力視されています。


スサノオが退治したヤマタノオロチから出てきた草薙の剣。
皇室の三種の神器でもあるこの剣が鉄文化の象徴とされます。


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古代から中世にかけては斐伊川の源流奥出雲では、砂鉄を利用した「たたら製鉄」が盛んに行われていました。
「もののけ姫」の世界ですな。


実際にもののけ姫の舞台はは出雲地方のイメージだそうですね。

そして、民謡安来節で有名などじょう掬い。

あれ実はどじょうを掬っているのではなく川底の砂鉄を掬っている...なんていう説もあるほどです。


現在でも奥出雲町横田には現存する唯一のたたら製鉄、日刀保たたら製鉄が稼動しています。

さて、斐伊川から遠く離れたここ島根半島、ここにもかつてたたら製鉄は存在していたようですな。


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旧美保関町発行の「美保関町誌」や片江郷土史編纂委員会の「片江郷土誌」。

うちの裏山あたりに中世以前のたたら遺構があることが記されています。(こんな小さな集落で郷土誌なるものが

刊行されてるとこが、わが故郷ながらすごい。)


では、その裏山へ行ってみましょう。早っ

ちなみに時間はまだ朝7:30過ぎ。


やってきました!!
白山と書いて「そつら」と読むこの山.....山というよりも小高い丘陵、ただしかなりの急斜面。

しかし....白山という名前なのにあとで納得行かない画像をお届けします。


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ねぎぼうずの脇を抜け、片江の集落を一望しながら一息、今度は反対側へ下って行きます。
登ってきた南東側斜面は畑や甘夏柑畑が広がっていて歩きやすいのですが.....


反対側の北西側....すぐそこに集落があるとは思えない原生林ですな。笑
どうやらこの山奥のどこかにあるようです....もちろん発見不可能!

さて、藪をかき分けながら進んでいくとぱっと視界が開け...山の反対側には一番上の写真のように静かな入り

江があります。


プライベート感ばっちりですな....いや、今日はそんな話ではありませぬ。


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小さい頃はボッカ釣りを兼ねてピクニックに来たこともあったっけ。
子供の頃からよくボッカ釣りに来たところですが、うちの親父、毎年元旦に小豆雑煮を食べる前にここでボッカを

釣るのが年中行事となっています。爆


おお、ふりかえると野生の藤が!お見事。
今年はすごくこの野生の藤があちこちで目に付くのですがなぜでしょう?
場所によっては山の色が淡い紫色に変わるほどに咲いているところにも出くわします。

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ボッカ釣りの記事 → ★★★
出雲地方の小豆雑煮の記事 → ★★★


当時は山道を行き来する人も多く、あんなに険しくなかったのですが、今や砂浜も荒れ放題。
地理的に朝鮮半島とも近いのでこんなハングル表記のゴミも大量に漂着しております。
ま、ゴミはゴミではありますが、これも大陸と出雲の交流が可能であったことを裏付ける重要証拠であります。


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長らくお待たせしました!!


ここ大事です。このために早朝から1人でやってきたのだった。
いや....子どもの頃からなんで??と思ってきたことをよく調べてみようと思っているのです☆


ほら、これ。


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砂が真っ黒なの分かりますか??
白砂青松というが如く、砂は白いもんと相場は決まっておりますが、ここは黒、真っ黒です!!
なんと、この砂浜は全て砂鉄でできています。子供の頃は磁石持参で遊びに来ていました。


たたら製鉄は砂鉄を原料に、薪炭で溶かしたものから純度の高い玉鋼を精製しておりました。
この海岸にある大量の砂鉄はすぐそこでたたら製鉄を行っていた証となるのでは??
もちろん燃料の薪は山で大量に採れますからね。


海水の塩分の影響はないのかなぁと気にはなりますが。


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実は斐伊川が氾濫したのも一因はこのたたらの製法にもあるといわれます。

中世の頃までのたたら製鉄は、薪を採るために森林を伐採するのはもちろんのこと、鉄穴流しという、山肌を掘り

返し砂鉄を含む鉱石を水とともにを流し込む溝を掘る。


一度の製鉄ごとにこの作業を移動しながら繰り返したので、山肌の荒廃が進んだといわれています。

山肌の荒廃はすなわち森林の保水力を弱め、洪水に....ということになるわけです。


数年前に親父が息子を伴ってこの海岸にやってきて、バケツいっぱいの砂鉄を持って帰ったことがありま

す.....そんなによぉけどうすんねん。
仕方がないので牛乳パックに入る分だけもって帰りましたよ....大津まで。笑

ベランダが砂だらけになりましたが。


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実は片江には年代不詳から古墳時代にかけての遺跡が多数残っています。


文献には登場しないような小さなものがほとんど。

たとえば山の斜面の畑の中にも石棺や墳丘内部の石が露出したもの(向畑遺跡=下の石ころ)。

さっき通ってきた山道の奥のほうには丁馬古墳群という横穴式石室も残っています。
この丘陵の南東斜面は日当たりもよく、弥生時代以降は小規模な集落があったと考えられているらしい。


片江はそもそも国忍別命(クニオシワケ)をして「国形宜し」と言われた土地。
風土記によると数軒の家があることがすでに記されております。


外海から入り組んだ波静かな湾の奥、登ってきた小高い丘の斜面からは湾内が一望にできます。
大陸との位置関係といい、製鉄以降や古墳の存在といい渡来人が住み着いていたのではないかと推測できそう

ですね。鍛冶屋なんていう屋号の家もあります。


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渡来人といえば製鉄技術、奥出雲に製鉄文化が起こったのと前後して片江で渡来人による製鉄が行われていた

と考えても特に不思議ではありませんな。


そう、先日ご紹介した美保関は、風待ち港としてだけでなく、出雲産の鉄を大陸に輸出する役割を担っていたとい

うことも知られています。

小さな波静かな入り江ですが、そんな古代に思いを馳せずにいられない砂鉄の砂浜なのでした。


そんな砂鉄つながりでランチ記事を☆....え?砂鉄つながりでランチ????