憂鬱な日々が去り、新しい明日が始まる

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YUTOHです。

ブログを今日からまた始めていこうと思います。
基本的に人に問いかけたり、自分のことをつらつらと書いていくだけのブログです。

ちなみにカメラマンをさせていただいてもらってます。
まだまだ未熟者で、修行中の身ですが頑張らせてもらってます。
また写真も載せていこうと思っているので、また見てみてください。



今日は恋について。

僕は今年21歳になったのですが、この歳になって初めてまともに片思いというものをしています。
お付き合いさせていただいた女の子は、少ないわけではありません。
でも、自分から好きになるということにあまり縁がなく、本当を言うと好きとか、愛とか、よく分からなかったんです。

なぜ人を好きになるのか。
どういう感情が好きなのか。
見えないものになぜ自信が持てるのか。

言葉に置き換えると、恋慕や愛情というものはものすごく安っぽいものです。
でもそれは、日本人的な考えには遠いものなのかもしれない。
有名な話ですが、夏目漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳しました。
これは、「月が綺麗だから、もう少し共に見ていませんか?」という意味です。
まだ一緒にいたいという謙虚な愛を感じさせます。

つまりは、僕が考え、疑問を持っていた恋や愛を言葉に置き換える行為は、「I love you」をそのまま「愛しています」と訳すようなもの。
チープな表現。合理的。
何のひねりもない、面白みの欠けた受け止め方です。

しかし、そういうものに多少の疑問も持ち得ない人が、恋や愛に無条件の自信を持つのはおかしな話だと思うのです。
それがどういうものかを考えないということは、自分らしい愛情表現ができないことと同義。
僕はそう思うのです。
最近では、若者の間で恋愛マニュアルとも言えるものが出来上がっているように感じます。
しかも分かりやすく、それが本になっているわけでもなく、その恋愛マニュアルなるものが一人一人に刷り込まれているのです。

こういう行為が優しさ。
こういう時にアプローチをすれば有効。
こういう愛情は軽くて、こういう愛情は重い。

それが細かく頭の中に記されていて、そこからはみ出る人は恋愛に免疫がない。
そんな評価が下ることもしばしば。
いつから恋愛には軽いだの、重いだの、そんなチープな表現がされるようになったのでしょうか。
ロマンチックな人が減った一因は、そんなところにあります。
そもそもロマンチストがナルシストに置き換えられ、嫌厭されるようになりました。
昔はロマンチストというのはすごく素敵な人たちだと思っていました。
もちろん今でもです。
ロマンのある人の愛情表現は素晴らしいものがあります。
もちろんそれは愛情表現だけに留まらないのです。
生き方そのものが素敵と言えるかもしれません。

つまり、僕にはまだまだ生き方にロマンがない。
それが恋愛を真面目にしてこなかった理由です。
ずっと恋人を観察対象くらいに思っていました。
だから、恋愛で傷ついた経験もないのです。
ずっと考えてきたことでした。
恋愛。そして自分はなぜ生き、この世界に何の意味を与えられるのか。
今でも模索していることですが。

僕は昔から何にでも疑問を持つ子だったそうです。
そして、それを少しずつ少しずつ解き明かしていくのが好きだった。
自分の興味があるものを知らずにはいられない。
そんなところが僕にはあるのです。
多くは本から。そして自分の足で調べました。

しかし、世の中のたくさんの本に表現されている恋愛は、現実とはやはり違った次元にあり、そこから恋愛が何たるかを学ぶことはできませんでした。
恋愛の仕方ではなく、恋や愛が何たるか、ということです。

しかし、それは小学校の同窓会でのことでした。
ある同級生の女の子と再会しました。
すごく綺麗でした。
彼女は9年という月日の中で、大きく変わっていました。
でも、実はこの時には何も思っていなかったんです。
同窓会の最中に何かあったというわけでもありません。
僕は四人の幹事の中の一人だったので、場を盛り上げるためにみんなに声をかけて馬鹿騒ぎ役に徹していました。
正直、誰と話したのかも分からない状態でした。
そして、同窓会も終わって数日が経った日のことでした。
ずっとその子のことを考えている自分がいました。
最初は正直これが恋なのか全く分かりませんでした。
なのに、ずっと考えていました。

彼女には彼氏さんがいましたし、略奪愛にも興味がありません。
実際メールをするのにもすごく気をつかいましたし、すごく勇気が必要でした。
遠くで見守ってるだけでいいや。とも思っていました。
そんな奥手な自分がいたことに、心底驚きました。

まだまだ自分が知りたいことには遠いのかもしれませんが、確実に近づいていると思っています。
そう遠くない内に、それを文章で表せる日がくるのかもしれません。
その時はもちろん、自分なりの表現で、です。