太田忠司さんインタビュー 第一回 “太田忠司”ができるまで | エンタメ探検隊!

エンタメ探検隊!

フリーペーパー「エンタメ探検隊」の補足サイトです。
発行にともなう事務連絡、およびフリーペーパーのPDF版、ロングバージョンなど掲載いたします。

皆さま、長らくお待たせいたしました! 
広大なエンタメの海を泳ぐのに、あると嬉しい羅針盤。エンタメ探検隊が、今回は名古屋の誇るエンタテイナー、太田忠司さんに突撃インタビューを行いました!
いつも読んでくださる皆さま、ありがとうございます! 今回も楽しんでもらえると幸いです。
それでは、Let’s Go!

インタビュー会場にて、太田忠司さん

福田和代(以下、福田)「私が太田さんの本を初めて読んだのは、阿南シリーズの『Jの少女たち』でした。友達が『ちょっと、”JUNE”とか”やおい”なんて言葉が出てくる本を、男の人が書いてるよ!』と言うので、そりゃたいへんだ、とみんなで読んでみたんです。そうしたら、この人本当にJUNEとか読んだみたいだよ、ひええ、というところから太田さんの本に入りました。それにしても、太田さんは本当に多作な作家さんですよね」

Jの少女たち (創元推理文庫)/東京創元社

¥950
Amazon.co.jp

太田忠司さん(以下、太田)「自分ではあまり多作だとは思ってないんですけどね」

福田「これは2013年のブックマーク・ナゴヤというイベントで、太田さんが小路幸也さんと対談された時のチラシです。おふたりの全作品(当時)の一覧が載っているんですけど、小路さんも決して寡作ではないのに、太田さんの作品の多いこと。150冊くらいですか」

ブックマーク名古屋資料

太田「文庫化を合わせると139冊です」

福田「『星新一ショートショート・コンテスト』でデビューされたのが1981年ですね」

太田「長編デビューしたのは1990年です」

福田「24年で139冊ですか、やっぱりすごいじゃないですか」

太田「毎日必死になってただけなので」

福田「心強いですね。私も毎日必死で書いていたら、いつかはそのくらいになるのかなあと。人気シリーズがたくさんおありなんですけど、太田さんの思い入れのあるシリーズについて伺いたいのですが」

太田「思い入れはね、どのシリーズについてもあるんだけど。仕事を始めた時にひとつ方針を立てて、出版社から注文がきたら、ひとつシリーズを立ち上げる。新しいシリーズを各社にひとつずつ作る。そうすると、どれかは生き残るだろうと思ったんですよ。とにかく、生き残りたかったので。幸か不幸か、ほとんどのシリーズが生き残っちゃったんですけど」

福田「すごく戦略的な感じですね」

太田「サラリーマンを8年やってまして、仕事として作家に転職した以上、自分なりに生き残っていくための方法を考えなければいけないと」

福田「会社ではどんなお仕事をされていたんですか」

太田「会社は自動車の部品メーカーで、工場の品質管理をやっていました。トヨタやホンダに自動車のヘッドランプなどを卸していたんです。自動車メーカーは納期が命なんです。工場のラインを止めるわけにはいかない。真夜中でも、部品が足りなくなったら運ばなくちゃいけない。そういう生活をしてきたので、作家になっても納期厳守です。それやらないと、信用をなくすと」

福田「わかります。私も金融のSEをやっていたんですが、前職での考え方が今も生きているように思います。太田さんも工学部ですよね」

太田「電気工学です」

福田「私は化学工学だったんですけど、なんとなく似ている感じがするなあと勝手に思わせてもらっていまして。真面目な考え方が、作風にもきっちり反映されているようです。最新刊の『死の天使はドミノを倒す』(文藝春秋)などは『無伴奏』(東京創元社)に近く、生真面目で弱い者に寄り添う印象を受けました。その太田さんの原点をお伺いしたいのですが、星新一さんのショートショート・コンテストでデビューされる前から、お書きになっていたわけですか」

死の天使はドミノを倒す [ 太田忠司 ]

¥1,728
楽天

太田「ショートショート・コンテストでのデビューは、大学四年の頃でした。書き始めたのは高校に入った時で。子どもの頃はまったく本を読まなかったんです。周りに本を読む環境がなかったので、その当時は漫画も読んでないんです。中学三年のときに学校の図書室に入って、たまたま手に取ったのは小林信彦さんの『大統領の密使』だった。その前に、ポプラ社の『少年探偵団』を親戚からもらって面白いなと読んでいたけど、そこで途絶えていたんです。小林信彦さんの本を読んだ時に、小説ってなんて面白いのかと思った。それで本を読み始めたんです。小林信彦さんってミステリをすごく読んでいて、ヒッチコックマガジンの編集もされた方で、本についてのエッセイ集もありまして。それを読むと、高木彬光とか横溝正史とか鮎川哲也について書かれていたんですよ。それで読み始めたんです。SFも星新一さん、小松左京さん、筒井康隆さんに入っていった。角川文庫に横溝正史とかが入って、何でも読めた時代です。面白いと思うと同時に、じゃあ自分も書こうと思いました」

福田「ええっ?」(キョトン……)

太田「僕はすごい勘違いをしていて、本を読んで、面白いと思ったら書くものなんだと思っていたんです

福田「ユニークな考え方だと思うんですが、どこからそう考えたのでしょう」

太田「それはまったくわかりません。そういうもんだと思っていた。受けた感動は自分も作ろうと」

福田「受けたものは返さなきゃという感じですか」

太田「読んで面白いのなら、書いたらもっと面白いだろうと思って。高校の頃には読むと同時に、ショートショートを書き始めてました。後になって、そういう考え方をする人はほとんどいないと気づいたんだけど」

福田「楽しい考え方ですよね。それでプロになられたんですから、すごいことです」

太田「プロになるまでがまた長かったんですけどね。大学の頃に、初めて長編を書きました。本格ミステリのつもりで書いたんです。高校で生物部にいたので、その仲間を登場させました。当時は生物部員でピラニアを飼っていたんだけど、餌にする金魚を隣の水槽で飼っていたんです。餌の時間になると、生きた金魚をピラニアの水槽に入れて、パクッとやらせるんです。それがけっこう評判になっていて、女の子たちがキャアキャア言いながら見に来るんです。ところが、夏休みにピラニアが死んじゃったんです。サーモスタットが壊れて、水温が四十度ぐらいに上がっていたんですよね。その時、僕は夏休みに長崎の親戚のうちに行っていていなかったんだけど、学校に出ていくと仲間が『お前が犯人だ』と言うんです。長崎にいたから絶対にできないんだけど、だからこそ怪しい、何かのトリックを使ったのに違いないと」

福田「何の話ですか(笑)」

太田「まあ冗談なんですけど。『えっ』と思ったと同時に、じゃあ、もし僕が殺せるとしたら、どうやって殺したんだろうと考えたんです。時刻表を開いて考えてみたら、ひとつ方法が見つかった。これなら僕はピラニアを殺せる! それで、ピラニアを殺す話を書き始めたんです。それだけだと面白くないんで、最初の章では、僕がピラニアを殺せるということを、鮎川哲也風に別の生物部員が時刻表をチェックしながら追い詰めていくようにしたんです。次の章では僕が主人公になって、小栗虫太郎の文体を真似て部室全体を黒死館みたいに描いたんです。ペダントリーをいっぱい詰め込んで、その部室が、実は密室だったということにして。密室トリックがどうやって解かれるかという話にしたんです。そして、他の部員を次の犯人を指摘する。次の章では、犯人扱いされた部員が、ハードボイルドタッチで事件を追い掛ける。その結果、時刻表トリックを解いた最初の探偵役が犯人扱いされて、一巡する。円環になっているんです。そしてみんなの推理を合わせると真犯人がわかるんです」

福田「面白そうじゃないですか。それはプロになられてから、どこかで出されたんですか」

太田「原稿がどっかに消えちゃいました。時刻表トリックは、霞田志郎もので使いましたが」

福田「もったいない! その頃にはもう、本格ミステリでいこうと考えておられたんですか」

太田「それもありました。本格ミステリの長編も書きたいし、ショートショートも書きたい。星さんのショートショート・コンテストも、最初は講談社文庫のフェアの一環として始まったんです」

福田「ショートショートも入選して、本になったんですよね」

太田「『ショートショートの広場』という本にまとまりました。『ショートショートランド』という雑誌が創刊されたので、送ってみて、良かったら載ったり。まだ、とてもデビューしたとは言えないような」

福田「学生時代はショートショートを中心に書いておられたと」

太田「就職して仕事しながら、ショートショートを書いては送って、です」

福田「長編デビューされたのが1990年で、八年間は会社で仕事をされていたということなんですが、ショートショートを書きながら長編も書いておられたんですか」

太田「その頃、同じようにショートショートを書いていた作家の卵たちが、東京でグループを作っていました。それが『Aんi(あんい)』というんですが、そこに誘われて入ったんです。同人誌を作り、みんなで原稿を書きながら、講談社に行って編集者と面会するという、ショートショートに関する圧力団体みたいになっていたんです。でも『ショートショートランド』が廃刊になってしまって、書く場がなくなった。どうしようかと思っていたら、『ショートショートランド』の編集者が講談社の文三(文芸図書第三出版部)で講談社ノベルスを担当した。それが宇山日出臣さんという伝説の編集者です。宇山さんが、綾辻行人さんを1987年に『十角館の殺人』でデビューさせて、これから若手の本格ミステリ作家を出していくと決めた。ショートショート・コンテストでつながりがあったので、Aんiのメンバーに『あんたたちの中でミステリを書ける奴はいるか』と声をかけてくれた時に、手を挙げたわけです」

福田「もう書いたことあるし」

太田「うんそう」

福田「人生ってわかんないですね、どこでどんなきっかけにめぐりあうか」

太田「ショートショートコンテストがなくなった時、自分の命運が尽きたと思っちゃったんですよね。これで書く場がなくなったし、本なんか出せやしないだろうと思ったのに、そんな話になって。グループの中で、最初に斎藤肇さんがデビューして。奥田哲也さん、井上雅彦さん、矢崎麗夜さん(現在の矢崎在美さん)というメンバーも次々とデビューしました。僕は『Aんi』というのはトキワ荘みたいなものだったと思っています」

福田「それが1990年のデビューにつながったんですね。太田さんといえば、最初は新本格のイメージが強かったですけど、ハードボイルドであったり、社会派ミステリだったり、SFもお書きになるし、『目白台サイドキック』(角川文庫)シリーズのようにファンタジーやライトノベルに近い感覚の作品もあるし、作風が広い感じがするんですけど。それは志されてそうなんでしょうか」

目白台サイドキック 女神の手は白い (角川文庫)/角川書店

¥637
Amazon.co.jp

目白台サイドキック 魔女の吐息は紅い (角川文庫)/角川書店

¥637
Amazon.co.jp

太田「ショートショートを書いていたことが大きいと思うんです。ショートショートの規定は長さだけなんです。ジャンルはなんでもかまわないんです。ショートショートの感覚で書いていたので、中身についてはあまり意識をしていなかった。もちろんジャンルを意識はしていたんですが、次はミステリを書く、次はSFを書く、という感じで」

福田「自分は○○を書くんだ、というジャンルの縛りはなかったということですね」

太田「新しい出版社の人とお話しする時に、自分で手持ちのカードを切らなければなりませんよね。それをなるべくたくさん持っていたかった。編集さんと話していて、この人はホラーが好きだなと思ったらホラーのカードを差し出す感じ」

福田「まだお書きになっていなくて、これから書きたいと思われているジャンルはなんですか」

太田「長編のホラー。前から書きたかったのは、ホーンテッド・ファクトリー(呪われた工場)。それもバブルの時の、僕が知っていた死ぬほど忙しい工場で変異が起きるという話なんです。この異変が本当に超常現象なのか、それとも何日も徹夜して狂った頭が見せた幻影なのか」

福田「面白そうじゃないですか! 名古屋が舞台なんですね」

太田「でも、誰もまだこのネタを拾ってくれない」

福田「そう言えば、宇宙エレベーターものを書こうと思ってる、とも前に言われてましたよね。あれはハードSFになるのでしょうか」

太田「ちょうどそれ、昨日書き終わったところなんですけど、SFハードボイルドになりました。まだ原稿の手直しをしている段階で、いつ出るかなどは言えないんですけど(太田注・2015年2月刊行と決まりました)」

福田「おっ! 楽しみにしておりました」

太田「宇宙エレベーターの基地がモルディブにあるという設定です。日本の企業が軌道エレベーターを作って管理もやっているんです。モルディブで便利屋をやっている日本人が、消えた日本人女性を捜すというのが発端。それで、捜しているうちに宇宙エレベーターに乗って月まで行ってしまう。いただいた資料がとても役に立ちました」

福田「本当ですか! それは良かったです。私は資料を手に入れたタイミングの関係で、あまり活かせなかったので、どなたかに活かして欲しかったので」

太田「思ったより時間がかかってしまって。本当はもっと早く書けるはずだったけど、半年くらいかかってしまった」

福田「半年で一冊なら早いんじゃないでしょうか」

太田「いや、昔は年に書き下ろしで4冊くらい書いてたから。それに連載の仕事がふたつ入って、ショートショートも書かなきゃいけなくって」

福田「すごいじゃないですか。いまは年間何冊くらい出しておられるんですか」

太田「すごいバラバラなんですよ、年によって違う。今年は年間3冊しか出ない」

福田「3冊しか!(笑)そんなことを言うと、首を絞めに来そうな人たちのお顔が目に浮かぶんですけども」

太田「世の中には小路幸也さんとか柴田よしきさんとか、とんでもない量を書いているすごい人たちがたくさんいますから。小路さんなんか、常に長編のゲラが3本あるって言ってましたから。そういう人を見ちゃうと、自分は書けてないなあと思うんです」

福田「見習いたいです」

太田「この前は、黒田研二さんに文句言われちゃって。『太田さんはTwitterでしょっちゅう書けない、書けないっていうけど、そのセリフがどれだけ他の作家にプレッシャーを与えているかわかってるんですか』って。だって書けてないもん。本当なら今の倍くらい書きたい」

福田「太田さんは本当にお書きになっているほうだと思いますよ」

太田「自分の実感からはそうならないんですよ」

(第二回につづく)