1999年7月に人類は滅びると、僕はずっと信じていた。五島勉の有名な著書の所為(お陰)ではあるけどバブル崩壊の後、なんとなく日本中に暗澹たる不安があった。

何事もなく2000年を迎え、特撮番組は「仮面ライダークウガ」がヒット。「仮面ライダー」は昭和シリーズの本数をはるかに越え、ヒーローの代名詞として今に続いている。

 

「仮面ライダークウガ」のみならず、1980年代以降の数々の戦隊シリーズや「プリキュア」「たまごっち」を実質的に生み出した元バンダイの役員本郷武一さん(本郷猛のネーミングの元となったともいわれる)に近年「畑澤があの頃深夜にいろいろやってくれたおかげで「仮面ライダー」を復活できたんだよ」と言ってもらえて、本当に嬉しかった。リップサービスでも構わない。

この頃、僕にとって本郷さんは雲上の人であり、お目見えも叶っていなかったのだけど。

 

また、「ガンダム」(主にSDガンダム)シリーズのお手伝いをする過程で大河原邦男さんと知り合い、本当にお世話になった。この頃(1990年代末~2000年代)一番頻繁に大河原邸を訪ね、結局実現していない企画のデザインを随分描いてもらった。(一部「STARBOWS」で実現している。大河原邦男の数少ない実写特撮用デザインになった)後年自分が中国に渡ってからも、大河原さんにはいくつかデザインを頂き、それはアニメ化、ゲーム化もされている。中国メディアのインタビューを受け「何故中国作品のメカデザインを引き受けたのか?」と聞かれ「畑澤君に頼まれたから」と普通に応えられていた。その通りなんではあるけど(笑)。それらのデザインは、実は今現在も僕にとって代えがたい財産になっている。またこの頃に描いてもらったいくつかのデザインは数年後の「ガンダムSEED」に反映されている(と思う)。

 

自慢話はそれぐらいにして、1999年。人類滅亡の日も間近に控えていたその頃、畑澤和也は孤独だった。どうせ人類は滅びるんだからいいや、と思いながら「ロゼッタ」」に似た「ロゼッタ」でないものを企画していた。

「ロゼッタ」人気(と言うほどのものではない)を知ったテレビ朝日のプロデューサーが持ち掛けてきてくださった、本当に有難い話だった。

でも僕は本当に孤独だった。

(これはやはり続く あまり書きたくない事も書く)